母の引越しをしてきました。

2019年2月26日ミズタニ行進曲

2019年2月24日、25日の日曜日と月曜日を使って豊橋へ行きました。母が引越しをするのでその手伝いです。今時刻は2月25日22時46分です。20分ほど前に帰宅しました。イルピアット紙屋川へ立ち寄り、明日の準備を済ませてから帰宅しました。豊橋からの帰り道、高速を走りながらくるりの「ばらの花」ばかり聴いていました。

「安心なボクらは 旅に出ようぜ 思い切り 泣いたり 笑ったりしようぜ」

やり場のない気持ちをどうにかして京都へ持ち込まないように。途中で立ち寄った刈谷のハイウェイオアシスで温泉に入ってきました。気持ち良かったなぁ。「かきつばたの湯」はとても人気です。長距離トラックの運転手はもちろん、地元の人も多く利用します。久し振りに多くの人が湯船に浸かっている大浴場を見ました。入る隙のない風呂もありました。温泉が好きです。大浴場は特に。本当はこの2月23日、24日は友人らと恒例の旅行へ行く計画でした。赤穂へ行く計画。友人らから送られてきた写真に私は写っていません。その旅行をキャンセルしてまで行った豊橋。「かきつばたの湯」はどうしても温泉に行きたかった私の意地みたいなものだな、とも思いました。

24日。昼前には豊橋へ着きました。引越しの代金を聞くと、14万円以上かかると言います。内訳を確認すると、母が分からない事に付けた様な内容でした。引越し先は50mも離れていません。引越し業者へ連絡し、見積もりの再考を厳しく言いました。すると、その電話だけで3万円以上も下がりました。一体どういうことなのか。引越し業者は予定の時間よりも3時間以上遅れての到着。15時予定が18時を優に回る事態です。見積もりの件でも腹立たしい上に、遅延についてはあっけらかんと「そういうものです」と言う態度。久し振りに悪いトニーが出ました。その感情は翌日に持ち越しです。

母も引越しを一人で段取りすることが初めてだった事もあり、全く要領を得ませんでした。近くへの引越しという気のゆるさも手伝い、荷物がきちんとまとめられていませんでした。言い方を変えると、要らないものまで引越したのです。引越しが終わったのは21時30分。そこから少し整理して母の寝床だけを確保して私はホテルへ行きました。52㎡の広い部屋。空調も香りも行き届いた館内。大きなベットに浴室。ダンボールに囲まれて寝る母を思うと、ひどい自己嫌悪に襲われました。目の前の差はなんだ。

私だって働き詰めで働いて、豊橋まで来て、引越しを手伝ったのだからこれくらいの報いがなければやってられない。そう思いました。そう思うようにしました。切ない。とてつもなく切ない。数年ぶりに会った兄も健康とは言えず、また、暮らし振りも恵まれてはいません。兄はバセドー病で糖尿で緑内障です。加えて、(これは以前から指摘していますが)恐らくは発達障害であり、とりわけ自閉スペクトラム症が強く出ているものと見受けられます。きちんとそうした受診をして欲しいと促しても、当の本人は「オレが気狂いであるかみたいに言うな!」と手に負えない怒りを爆発させます。母はそんな兄の怒りに怯えながら接していることも自明です。

私にとっての豊橋は、やはり、残酷です。私にとって残酷です。母には説教してしまう。兄にもうんざりしてしまう。母たちの暮らし振りと自分の暮らし振りの格差に愕然とします。私は2人からすれば只の口うるさい家族でしかありません。「よしおはいつもウチらを馬鹿にする」と。私が抱える気持ちや想いなどは無いものとして扱われてしまう。もしくは、忘れられてしまう。私の立ち位置は「注意をする人」であるかのようです。母たちの苦境をどうしたら軽くできるかを考えるばかりですが、なるべく意見を取り入れた上で改善をするので時間も必要になります。私の余裕も有限です。豊橋に行くと、いつも自己嫌悪になります。

25日。朝からエアコンの取り付け工事に業者が来ていました。話を聴くと、配管化粧カバーが見当たらないので別途工事費がかかると言います。工事費は見積もられていて支払われているので、化粧カバーの材料費として1万円がいると言います。「先の部屋からこちらに化粧カバーも持って来ていると聴いてましたがありません」と言います。ですが、工賃はもう徴収されています。それは化粧カバーがあったからその見積もりという解釈でよろしいか?であれば、昨日の担当者がどこかへ失くしたと考えるのが普通だけれど。「営業が見積もりした際にお母さまが「化粧カバーは転居先にある」と言ったそうです」と引越し業者が言う。母は「化粧カバー」の意味も知らない。その母が「ある」と言ったと言う。「あるのか無いのかをきちんと確認したのか」と尋ねると「長距離の引越しもあるので依頼者の方が「ある」と言えばそれを信用するしかありません」という。

おいおい。

いいかい。

引越し先は長距離じゃ無いんだよ。今回の案件と、一般論を一緒にしてもらっては困る。50mも離れていないんだ。大体、引越し先にエアコンが無いのにどうしたらそこにエアコン配管の化粧カバーだけがあるんだい。車を持っていない人がタイヤを1本だけ持っている事があるのか。化粧カバーの説明もしていなくてどうやって「ある」を確認したのか教えて欲しい。現場の電気屋は「もっともな意見です」と言う。昨日の作業員が化粧カバーを失くしたと疑っているわけじゃ無い。がしかし、「ある」と見積もりされているのなら「ある」前提じゃないか。追加ありきで見積もりをしたのなら大きな問題だし納得できるように説明して欲しい。

結局、ずさんな見積もりが露呈して引越し業者が「今回は・・・」と言って化粧カバーを付けて火を消した。母は人がいい。だから分からなくても返事をしてしまう事がある。私はそれも説教する。「見積もりだって出てきた時点で私に相談して欲しかった」と説教してしまう。引越し翌日の今日に整理をしながら再び要らないものがダンボールに4箱も出た。「今日している仕分けは引越し準備の時に済ませておく事だ」と説教してしまう。説教ばかりだ。自分が嫌になる。もっと京都から豊橋へアクセスすればこんな事にならないのだろうか。私自身がどこかで「豊橋と関わりたくない」と考えているから縁遠くなってしまう。どうすれば母も兄も、暮らしを改善できるだろうか。

しかしながら、すっかり部屋を片付けてきました。洗濯機もテレビも全て設置してきました。猫を飼うと言うので、壁の全てにプラの養生もしてきました。最後に足らないものを買い足してから豊橋を出ました。母が帰りざまに「引越し代で浮いた分を持っていけ」と封筒を渡します。私は固辞しましたが「かのちゃんに何か買って」という言葉に引き下がれず受け取りました。5万円も入っています。このまま返すと母のプライドを傷付けます。年内に温泉旅行でも一緒に行く計画をし、その旅費に充てることにします。

私にとって豊橋は残酷ですが、年内にはそれが変化するものと期待しています。

ウィスキーを飲みながら。