ミズタニ行進曲4

2019年1月7日ミズタニ行進曲

実は、関大を落ちた時に受験は終わったと思っていました。落胆する私にレンが「よしおさん、立命が残ってるんだけど」と言ってハガキを見せてくれた。そのハガキはレン宛に届いた受験日程だった。受験を秘密裏にしていたこともあり、受験票などの重要書類以外はレン宛に届けてもらっていました。「関大に受かるだろうし必要ないと思って知らせなかったの。」後期日程があると言う。受験の仕組みをよく知らない私は、繋がったこの可能性にすがる思いでした。しかしこの「産業社会学部」の「産業」というのは、一体どういう意味だろうか。社会学を学べるのだろうか。また工業系になるのだろうか。当時の私にはそれくらいの知識しかありませんでした。

立命館大学の社会人入試は小論文と面接のみ。徹底的に小論文の練習をしました。文章の書き方から、起承転結の構造、言葉の選び方、簡潔な表現方法など。仕事が終わってからの深夜に小論文を幾つも書いて、翌朝、先生にfaxするという日々でした。仕事から戻ると添削された小論が返信されていて、更に書いて行くという日々。小論を書くために『日本の論点』を読み込みました。社会にはこんなに問題があるのかと目を丸くした覚えがあります。面接の方法は全く分からなかったので、サービス業の特性だけで挑む事に。変に練習しておかしくなるより、自分らしく面接を受けよう。受験理由に書き表した熱量をそのまま面接で伝えよう。そんな受験対策でした。私の受験を知っている学生たちは、キラキラした眼差しを向けてくれていました。

受験は立命館大学で行われました。西宮から京都へ。どうやって辿り着いたのか覚えていないくらいに緊張していました。シフトは私が決めていた事もあり、試験日を休みにできました。小論文は繰り返し練習した甲斐もあり、しっかりと書けました。しかし面接で面接官の教員と議論へ発展してしまい「二人とも、これは面接ですよ」ともう一人の教員にたしなめられました。「君が言うようなアカデミズムはキャンパスには無いよ」と言う教員に「無ければ私が作ります」と引き下がらない。面接時間も大幅に超えてしまい、教室を出る時に「何してるんだ・・・」と落胆しました。私はいつもこうだ。熱くなりすぎる。そうならない為にも大学で勉強してみたかった。失意のまま西宮へ戻りました。

合格発表は直接、立命館大学まで見に行きました。郵送でも合否は分かるのですが、関大の合否を郵送で受けた時の乾いた印象が嫌でした。最後だ。これで最後だ。もしダメならこのまま西宮には居られない。大阪の居酒屋で働くなり考えよう。ブツブツとあれこれ考えますが、どれもフワフワしていて定まらない。立命館大学行きのバスから見た風景をまた見たいな。北野白梅町を越えて、緊張感は最大値。正門をくぐりすぐの所に合否発表は掲示されていました。ドキドキしました。番号を探します。「あった。」ありました。何度も、何度も確認しました。小雪が舞っています。あった、ありました。合格だ。本当に、合格だ。これで、これで生きられる。これであと4年は生きられる。ああ、なんて事だ。こんな奇跡があるものか。人生は諦めるべきじゃない。今でもあの瞬間を思い出せます。

合格したことをまず、レンに連絡しました。「受かると思ってたけどね。」と言いながら、安堵してくれている姿が思い浮かびます。西宮に帰るとトシが「立命館大学から郵便物があったけど、何だったの?」と言います。「もしかして受けたん?」いや、合格した。「マジかー!いち抜けやん。」トシはそう言いました。オーナーに「お店を辞めたいと思います」と告げると、「まぁ、そんな話だろうと思ったし、別に構わないけど、これからどうすんの?辞めて何もできないじゃん。」この高圧さ。なぜこういう扱われ方なのだろう。大阪にでも行こうかとか、まだ決まっていないとか、煮え切らず話しているとまとまる話もまとまらない。オーナーには大学へ行くことを言わずに辞めたかった。「実は立命館大学に合格したんです。」そう言った途端、「嘘?本当に?まぁ、もう少しよく考えて。」どういう意味だろう。合格を言った途端に引き留めるような言葉を言うのはなぜだろう。こういう部分が私を受験に向かわせてくれた。今は感謝しかない。

私が辞めるに当たり、アキラくんに料理の全てを教える条件が出された。もちろんだ。「お客さんにはよしおが合格したことも辞めることも言わないように」と釘も刺された。私は一部の学生は知っていると伝えたが「他の人には他言無用」とした。私は飲む他なかったので「分かりました」と応じました。黙っていなかったのはトシでした。「ヨッチ、本当にそれで良い?良いワケないやん。この店ここまで引張てきて、お客さんに挨拶もせずに辞めるん?堂々と合格したんやし、それを言わないかんよ。俺はそんなん、認められん。ありえん。」トシはお客さんに私が辞めることを話しました。「俺は止められてない」というのが彼のロジックでした。全然違う性格で、私には無いものを全て持っている、いけ好かない男。本当にいい男だなと思いました。

鎮西も「大人がやる時にやる姿を見られて良かったです」と言ってくれた。周りの学生たちは自分の事のように喜んでくれました。西宮の最終日は入学式の前日。お疲れ様のお花をたくさん頂きました。眠らずにそのまま入学式に出席したので、たくさん頂いた花も持って行きました。母が入学式に来たので花を渡しました。偶然、親戚の子も入学したので花をあげました。寝ていないのに、私は元気でした。入学式が終わり、西宮へ帰り、引っ越しです。ここまで連れてきたイルカはこの時、引っ越し手伝いに来てくれた学生の横山ちゃんにあげました。「イルカ、可愛いー」と横山ちゃんが言ったので「それあげるよ」と。5年ローンは3年で返済していました。大きな絵だったのですが横山ちゃんはもらってくれました。バイバイ、イルカ。泰三が京都まで引っ越しに付き合ってくれて、「椎名林檎とクラムボンの声が似ている」なんて音楽の話をした事を覚えています。

実は、入学金が足らなかったのです。私は兄のことやイタリアに行ったりして、貯金がほとんどなかったのです。いよいよ私も消費者金融に借りるのか、という時。父がお金を用立ててくれました。一体どうやって。母が後日、教えてくれたのは「お父さんが親戚に頭を下げて借りたの。「よしおが大学に合格したんだ。何とかしてください」って言ったの。」親戚には風当たりが強かった父が。頭を下げて用立てた。何ということだ。そんな事ができるならもっと真面目に暮らしてくれたいいのに。私はとても感謝しました。父にも、親戚にも。借りたお金は私が半年かけて自分で返済しました。父も返済する気持ちだったようですが、「それなら母の暮らしを保証してくれ」という気持ちが強く働きました。父の、父らしさを感じた入学金。今の私に同じことができるだろうか。

つづく