食卓の支度をする音は心地いい。

2023年9月5日お知らせ

2023年9月5日火曜日。今日は臨時休業しました。昨日からかの子さんが発熱し、コロナの診断を受けました。昨夕方まで37度半ばだった熱が夕方以降、39度になりました。あい子さんはメニュー替えをしている私に配慮して、ひとりでかの子さんに付き添い不安な夜を過ごしました。薬を服用させてもなかなか落ち着かない夜だったと思います。

私は昨夜、メニュー替えを深夜に終えて紙屋川に泊まりました。先週にあいこさんがコロナに感染し、昨日かの子さんが感染症状を表してという展開から、大事を取って私は紙屋川に泊まることになっていました。火曜日の今朝、あいこさんと連絡を取ると昨夕方以降に高熱になったと聞かされました。朝にやっと薬で解熱したものの、かの子さんの苦痛な状態に胸を痛めて彼女は電話口で泣きました。

「大丈夫」と言いながらも嗚咽するあいこさんに「今日は休んでこれから帰宅するから大丈夫」と話しました。家に帰り、一通りの様子を聞いて「今日は一日いるから大丈夫」ときちんと言いました。あいこさんもかの子さんも落ち着いた様子でしたし、私の帰宅によって安心したことが分かりました。私は感染予防対策を行政から嫌と言うほど言われ続けましたので、皮肉にも、こう言う時に役に立つという巡り合わせ。家にいながら感染予防対策をして過ごしました。

一度紙屋川へ戻り、朝イチの業者受け取りと休業告知をしました。その時、事務作業に必要なものをすっかりと抱えて帰宅しました。こういう時にのんびりとする事務作業は捗るものです。税理士さんと連絡を取りつつインボイスについての情報交換をし、オリジナルグッズ制作サイトへ行き方法を模索し、ヤフオクで落札した内容を確認し、伝票整理を進めました。

お昼ご飯に「えびや」さんへ出前を取ろうと提案しましたが「うどんなら家にあるものでいい」とまとまり、私は「あんかけ肉うどん」を作りました。あいこさんは食欲が戻らず、少しやつれた様子です。かの子さんは食欲はあるものの、発熱は薬で抑えられているだけで微熱が続いています。家の中にはNHK第一放送が流れています。穏やかな昼ごはんでした。

午後3時頃に再び紙屋川へ行き、午後便の業者受け取りを済ませました。夜ご飯の材料をイズミヤで調達し帰宅しました。夜ご飯はかの子さんと話して「たこ焼き」になりました。「たこ焼きなら蛸虎さんで買ってもいい」という話も出ましたが、「いや、今日は作ることに意味がある」と私が家で作ることを譲りませんでした。そう。家で作ることにこそ意味があります。

いつもはテーブルを囲み家族で作るたこ焼きやお好み焼き。ホットプレートを引っ張り出し、テーブルにセットします。材料を整えて焼いてゆきます。今日はひとりで焼きました。あいこさんもかの子さんも扉を隔てた隣の部屋にいます。材料を切る音。炒める音。生地を流し込む音。お出汁の香り。みその香り。醤油の焼ける香り。たこ焼きの焼ける香り。変化する焼き加減の音と香り。仕上げのソースの匂い。豚汁と豚肉の炒め物とたこ焼きを作りました。

私が調理する音や香りや匂いを覚えながら、ふたりは隣の部屋で食事が整うのを待っています。この時間が尊い。この時間こそが、家の醍醐味。食卓の支度をする音は心地がいいです。何かが始まる気がする。お腹が減った埋め合わせを整える期待と慰め。何よりも、自分のために調理されている贅沢さと尊さ。私は調理しながら、食卓の支度をする音の心地よさについて再認識していました。

食事は出来合いのものを買ってきてもいいし、食べに出掛けてもいい。出前をとってもいいし、簡単な調理でもいい。食事の方法はいくらでもあります。しかしこの中にあっての最上級は、家で調理される食事だと言いたい。毎日していたら当たり前に思うかも知れませんが、それは決して当たり前のことではないのです。

日々、家の食卓の支度をしているみなさんは素敵です。本当に素敵です。家の中に食卓の支度をする音があることは当たり前なんかじゃない。それをそのようにしたい気持ちが働くからこそ、そこに実現できます。そしてこれは簡単なことではありません。もう一度言いますが、「それをそのようにしたい気持ちが働く」ということは、「好きでしているなら別にいいじゃないか」という簡単な解釈であってはならないのです。

「それをそのようにしたい気持ちが働く」というのは、自分のためだけにしていることではありません。「好き勝手」は利己的ですが「気持ちが働く」というのは利他的なものです。「食卓の支度をする音の心地よさ」は他のものに変えられません。これは特別なものなのです。毎日食卓を作るということは、この特別を実践し続けているということです。その実践が「好きなら別にいいじゃないか」という見立てになることは絶対におかしいのです。どうか「好き勝手にしたいように、したいからしているだけ」と単純に解釈することだけはやめて欲しい。食卓には家族を象る強さがある。手放してはならない尊さがあります。

かの子さんが熱を出して動けない。あいこさんも疲弊している。しかし食卓はきちんと作られている。食卓の支度をする音は、それらを諦めていない。必ず良くなるし、その気持ちを押し上げもする。一緒に膳を囲めなくても、今日は別々で食べることになっても、その為になされた音と香りや匂いは、普通を演出するのには十分な役割。食卓の支度を日々している皆さん。本当に素敵です。

私はパッと出の、年に数回家で調理する程度の、本当にこんな時にだけ偉そうな顔をして、少し作った程度で大袈裟に騒ぎ立てるような、いけすかない奴です。ですが、今日は食卓の支度をする音を作りたいと思いました。食卓には力があるんだと示したかった。だから、誰とは言いませんが、食卓を日々用意している皆さんは素敵なんですよ!と言いたくなりました。私はパッと出なので何も素敵じゃないです。

「たこ焼き」を選んだのも、「元気になったら一緒にたこ焼きしよう」というメッセージです。次回はみんなで。顔を突き合わせてたこ焼きを焼きながら「前回は孤独たこ焼きだった」という笑い話をします。次回は80個作りましょう。たくさん焼いて、いろんな具材を入れて、一緒に満腹になります。今日の食卓も明日に繋がります。皆さんの食卓がそうであるように。

明日は営業しまーす。