「コロナは無意識のスタンド攻撃である証明」

2022年8月2日お知らせ

「コロナは無意識のスタンド攻撃である証明」

 「感染する、させた」という議論の中に「責任論」を見ることがあります。感染予防対策も意識しないで飲み明かす、歌い明かす、感染拡大地域に旅行へ出かける、などが「身勝手」として取り上げられています。予防意識なく感染し発症すれば「自業自得」という烙印がもれなく捺印されます。

しかしこれらは考えてみると、感染の方法を知っているとも言えますか?いいえ。知らないはずです。感染は感染能力者との接触によって実現できますが、誰が感染能力者なのか分からないのです。「自分は感染しても構わない。だって風邪だろ?」という論調もあります。感染し発症した具合が風邪程度なのかは運次第としか言いようがありません。一か八かで潔く思いますか?それは好きにしてください。とにかく、感染方法を明確に見分ける手段を日常的に誰も持っていません。

この2年半。2019年12月に中国の武漢で見つかったcovit19(新型コロナウィルス)。重症化する割合、亡くなる確率などが低くなるにつれて、「恐れるに足らず」という風潮が生まれています。実際には、軽症の発症でも後遺症が続くという話がわたくしの元にも寄せられています。この事は、問題の当事者でなければまったく気にならない事柄でしょう。「自分の身に起きていなければ、世界には起きていない事と同じである」と誰かが言いましたか。

感染による発症は、経験した人の間でも評価が分かれます。軽い人、重い人、後遺症がある人、長い期間を療養した人など、同じコロナでも印象が様々です。海外の事例を持ってきて、「海外はもう普通に暮らしている」と話す人もいます。「そもそもコロナは陰謀論だ」という人もいます。「私は規律を守っているから感染するはずがない」と鉄壁を誇る人もいます。はっきりと言いますが、発症しないに越したことはないんですよ。

行動が身勝手だろうが、鉄壁だろうが、陰謀論だろうが、海外がどうだろうが、わたくしには知った事ではありません。きちんとしていてもこうして感染します。そして発症します。フジロックに行った人を見て「感染すればいい」と嫉妬してる場合じゃないです。嫌なら関わらなければいい。フジロックの情報を入れなければいい。飲み明かしているインスタ投稿もブロックすればいい。海外の指標を持ってきて安心できるならそうすればいい。誰が悪くて、悪くないという論調は、コロナとは関係ないんです。

発症すると、隔離される。これは感染能力を持ってしまうから。自分で操れない能力を持って他者を襲ってしまう位に考えたらいい(分かる人は無意識のスタンド使いと捉えてみれば分かるはず)。その攻撃の力はその人の能力に応じていて、強弱の目安が誰にも分からない。感染予防対策は無意識のスタンド攻撃から身を守る為のおまじないの様なものでしかないが、無効じゃない。

コロナはスタンド(荒木飛呂彦・著『ジョジョの奇妙な冒険パート3以降参照』)くらい、何も解明されていません。ファンタジックに思いますか?どう捉えてもらってもいいです。しかし、これまでなぜ増加し、どう減少したかについて誰も説明できていません。世界中で「なんとなく、こう」という説明論文ばかりです。コロナウィルスの性質を指摘しても、増減のシステムについては解明できていません。感染予防対策の有効性について陰謀論を許してしまう点や、説得力に欠ける点は「解明できていない」点に尽きます。

とはいえ、発症すれば時間を奪われます。健康を阻害されます。わたくしの場合は喉が嫌というほど痛めつけられました。喉を焼かれ火傷を負ったような痛みはこりごりです。挙句の果てに計画していた予定は白紙になります。文明社会での計画など疫病からすればカウントにも及ばない塵のようなものです。無意識のスタンド攻撃を受ける場面がそこかしこに拡大している現在、「そういう攻撃を受けていると意識するしか回避する方法はない」のです。

作中のスタンドには目的と意思があります。コロナにも「拡大する」という目的と意思が明確です。ですが、どの地点かで途端にやる気をなくすのか減少に転じます。デルタやオミクロンなどの進化を遂げて、能力を改良しては出現しますが徐々に弱くなっていっています。ウィルスの特性とも言えますが、今は猛威を振るっています。ちなみに、わたくしの追ってきた新聞切り抜きからのデータでは2か月間が攻撃力最大値です。そこから減少に転じて、自分を改良します。改良期間は沈静化を装います。

今はまだ無意識のスタンド攻撃を繰り出す無自覚者が多く生まれています。攻撃されにくい環境は、換気が良い、一定の距離を取る、マスクを着用してスタンドを出さないよう注意する、手洗いとうがいを心掛ける、ワクチン接種、ということが言われています。このどれもをしていても、わたくしは攻撃をもらいました。相手が強かったのでしょう。わたくしの免疫システムが相手の攻撃を防ぎきらなかった。ある相手には有効だったものが、ある相手には通用しない事がある。残念です。

このように、自分の身を守るにせよ、限界値があります。政府は「無意識のスタンド攻撃から身を守る行動を」と呼び掛けています。人が多く集まる事は共鳴して、攻撃しやすくなるとも言われています。こんなもの、フーゴのパープルヘイズ能力が無自覚的に攻撃しまくっているのに等しいです。誰の責任でもありませんが、自分が無意識のスタンド攻撃使いであるかも知れないと思う事は、今からでも遅くありません。それを感染予防対策と呼ぼうが、スタンド攻撃から身を守ると呼ぼうが、攻撃されて発症しなければいいのです。

美味しくお酒を酌み交わしましょう。歌ってもいい。賑やかでも構わない。自分が行動する時、それは無意識のスタンド攻撃を繰り出しているかも知れない可能性だけ考えられれば、岸部露伴のように爆死したりしないでしょう。ページをめくってはいけない。攻撃を受けている。