ミズタニ行進曲「戦争と日本と料理について」2022年3月14日月曜日

2022年3月14日ブログなど

はたして、世界はどうなってゆくのでしょうか。2年前からのコロナ禍は感染者数こそ高止まりしていても、近頃では付き合い方が分かってきました。オミクロンはラスボスに相応しく、感染者数こそ多く叩くもののその影響力は中和されていく道を開きました。まさに、エンディングを迎える道筋です。コロナ禍のエピローグ的なムードの中、ロシアがウクライナへ侵攻しました。

2月23日朝刊に「ロシア、ウクライナ派兵命じる」とあります。それから20日も満たないこの間に、ロシア人もウクライナ人も多くが命を落としました。それだけではありません。ウクライナは国の主要都市が空爆やミサイル攻撃を連続して受けて、街は無茶苦茶にされました。多くの建物が倒壊し、何百万人という避難者を作りました。

連日報道されて目にし、耳にする内容によって心を痛める人も多くいると思います。被害の拡大をもって「ウクライナが降伏すれば片が付く」と心無い意見も見受けます。専門家たちやコメンテーターらは、この事態を打開する手立てを考え付いたと言わんばかりに発言しています。しかしこのどれもが、何の確証もないポーズに過ぎない事は指摘しておかねばなりません。

ロシアが、プーチン大統領が、一体何を考えてウクライナへ侵攻したかの理由ははっきりしていません。これまでの経緯から推察される事を繋げてみても、ウクライナをこんなにする理由など見当たらないのですから。NATO加盟をめぐる事や、8年前に生じたクリミア侵略や、ウクライナ東部の新ロシア派の保護などが言われていますが、そのどれもが取って付けた理由でしかないことは周知です。

今の戦争を続けたところで、ロシアに一体何か得する事があるのかも分かりません。戦争の動機が威嚇や力の見せつけにあるとしてみても、ロシアが豊かになったりはしません。軍事侵攻を続ければロシア国内の不安定さは拡大するはずですが、それもよく分かりません。分からないことだらけです。わたくしは新聞報道を中心に情報を集めいていますが、戦争の理由などどこにも載っていません。あるのは被害の状況と、各国の対応だけです。

間違いなく言えることは、ロシアが軍事侵攻した事実です。これを間違ってはいけません。ですから、どうすればいいかを議論したり考えたりするときに、「ロシアが軍を撤退させる」という一点しかないはずなのです。その背景や、責任や、ウクライナの姿勢や、ロシアの思惑や、欧米各国の経済制裁や、そういうことはこの際どうでもよくて、ロシアが軍を退けさえすればいいのです。それがない限り、何も変わりません。

シンプルなことですが、「どうすれば軍を退かすのか」なんて誰にも分かりっこないのです。なぜ戦争をしているのかが分からないのです。なぜこんなことまでしなくてはならないのかが分からないのです。色々と想像し、専門家たちも芸能人たちもコメントしますが、はっきりと分かっていません。この事はひょっとしたら、ロシア内部でも同じで、命令を下したプーチン大統領さえ「なぜ戦争に踏み切ったのか」を忘れてしまっているかも知れません。侵略しに行ったものの、思いの外にウクライナの抵抗にあって引くに退けなくなっている状況なのかも知れません。

このように、何ひとつとしてはっきりと言い切れないのが現状です。それを踏まえ、解決への一歩目は軍の撤収でしかありません。それから色々な事柄をきちんと検証して行く必要があります。もう既に、軍を退いた後に使われる「理由作り」と「証拠づくり」が展開されていますが、それは後々に擦り合わせてゆくことになるはずです。あったこと、なかったことをないまぜにして「事実」を作るのだと思います。この事は戦後の日本にも、世界大戦後の世界にも言えることですし、確認できる事象です。

世界は、真実や正しさが動機づけになっていません。「そうありたい」と願う人類が振り絞って獲得してきた理念です。それを掲げることは理想ですし、倫理です。倫理とは「選ぶこと」だとわたくしは解釈しています。「する・しない」を選ぶ時に抱える思慮や思索こそ倫理です。その思慮や思索のベースになる考え方を思想や哲学と呼びます。その思想や哲学は日常生活から身に付けて行きます。日常の経験から養い培われるそれらは、「真実や正しさがベースであって欲しい」と人類は争いの中から学んできたはずでした。

戦争は全てなかったことにしてしまいます。社会が歴史と共に獲得してきた文化や習慣、文明さえも破壊します。行政制度や公共空間、治安やインフラ、食事や人々の交流、穏やかな睡眠や静かな気持ち、大切な人の香りや気配、美しさへのゆとり、働くことの成果と潤い、労働と余暇、服飾のオシャレや気取った振る舞い、家族と団らん、教育とクラスメート、目標設定と達成感、未来への希望と道筋、期待と夢、平和と日常、生きることにまつわる全てを台無しにします。台無しです。してきたことも、しようとしていたことも、計画も、伝統も、継承も、台無しです。何も、何もかも、台無しです。

わたくしたちの社会は本当に緻密に作られています。制度や仕組みを隅々まで説明できる人は少ないと思います。社会学はそれら全てを対象にした学術ですが、全てを理解する事などできっこありません。ですが、社会の重要さと人類が侵してはならない一線について訴え続けることは出来ると思っています。未来と可能性のある人々の日常を武力で奪う事などあってはならない。色々と難しい事は考えなくていいので、「ロシアが軍を退くこと」の一点だけを祈ってください。話はそれからです。

わたくしは飲食店をしています。調理をして料理をお客さまにご用意する事が仕事です。その職業をコックと呼びます。資格は調理師ですが、仕事は料理を作り出す事です。職業ひとつ取ってみても、このような説明ができます。単に「料理人」「シェフ」と呼ぶこともありますが、「それらが一体何であるのか」の説明を丁寧に果たすとき「論理性」が重要になります。論理性は感情とは真逆にあり、その説明による人々の理解を目指します。現象を理解するとき、論理性がなくてはなりません。科学的根拠も論理性に基づきますが、科学的根拠には「再現性」も求められるので、社会学で言う論理性とは性質が少し異なり、もう一段厳しくなります。

戦争に論理性を重ねる時、とかく理由と根拠を見つけることに終始します。その結果、整合性のよい論理を展開して我が物顔の理由をこしらえます。戦争に論理などありません。戦争に論理など持ち込むべきではないのです。いかなる場合も整合性などありはしない。少なくとも、避難させられたり、攻撃を受けたりした人々の上に何の論理性が成立して正当化できますか。そんなもの、ありはしないのです。

ではどうやって解釈すべきか。そんなもの、わたくしごときには分かりません。言えることは「やめろ」です。とにかくやめろ。まずは軍を退け。高尚な意見などないのです。どんな知性も、知識も、教養も、活動も、軍事力の前には何も定義できません。破壊されてしまいます。わたくしはこれが人間の本能であるかどうかの議論にも与しません。わたくしたちは野生ではないのですから。原始社会に戻るような議論は無意味です。

わたくしには、ロシア侵攻が宇宙人の侵略のごとく映っています。まったく理解できない。動機も分からない。交渉する術もない。停戦協議などは形式であって、それをするなら軍を退けばいいのにと思ってしまう。世界はこの侵略を止められずにいます。または、ウクライナの被害状況を犠牲にして、攻撃力の判定基準を考えているのかも知れません。宇宙人相手なら何でもできるかと思うのは浅はかで、何をされるのかが分からなければ手も出せないと言うのが世界の応答です。

とはいえ、ロシア国内の人々にも侵略反対のデモなどがあります。デモ参加者は15年、ウクライナへの募金支援者などは20年、刑務所へ入れられるとロシア人タレントが話していました。ロシア国内に正しい情報が回っていない点も指摘されています。日本国内でもロシア侵攻を支持する人がいる事も事実です。正しい情報を得ても、それを正しいものと認めない人を説得する事は難しいでしょう。そういう時は、美味しい食事を用意するに限ります。

わたくしはコロナ禍を経てのこの戦争に、危機感を抱いています。この先の情勢は、物価の上昇は自明ですし、ともすれば戦禍は他国への拡大を見せるかも知れません。日本も含まれています。ロシアが核を使用でもしたら、世界各国は経済制裁だけの対応を見直すことになります。化学兵器使用でもNATOは介入をほのめかしていますから、大きな戦争への発展は内包されています。核の使用があれば、世界の秩序は今よりも不安定になります。なんとも無力感が漂う様相には変わりありません。

わたくしは「小麦粉の価格が夏ころには倍額にでもなるのではないか」、と見ています。わたくしは営業を通じて、この先に訪れる原材料高騰を何とか納める方法を模索しています。現在のランチ展開は10年後に夜営業を辞めて朝昼営業へ業態展開するためのデモンストレーションであり、シミュレーションを兼ねています。同時に、原材料高騰を納めるためのアプローチでもあります。ここから得られる経験値と情報を活かして、細く長く料理ができる環境を考えなくてはなりません。

もう頭の中はコロナ禍ではなくて、戦禍を考えています。日本もこれから改憲議論、核共有議論、国防議論、軍事力増大、安楽死、など難しい議論が巻き起こります。向こう10年の間にこの国は制度も含めて大きなうねりを伴います。この事は避けて通れず、きちんと理解できるだけの準備を整えておく必要があります。日本の景気を押し上げる為の議論として、日本国内での軍需産業の勃興は必須の議題になると思います。これまで封印されてきた日本の軍需産業が復活すると、景気は上がるでしょうけれども人間が多く死ぬことになります。

日本はこれまで兵器の生産を禁止してきました。憲法上の解釈からです。他国も日本に兵器を作らせると素晴らしいものを作ってしまう為に、そのこと自体は歓迎されてきました。しかし欧米は新しい技術と発想を兵器に求めています。日本国内で兵器の開発生産が始まれば、各国がこぞって顧客になるでしょう。そしてまた、日本は攻撃の対象にもなるでしょう。日本の独創的な発想とコスパの良さは、兵器の様な目的が明確で雑なものに投入されると大きな被害をもたらします。

戦争をしない為の軍拡競争が始まります。韓国はこの数年、兵器製造を持って経済を立て直しています。中国もしかりです。日本は喉から手が出るほど、兵器を作りたいことでしょう。ロシアが起こした戦争によりその機運は図らずとも高まってしまいました。この国が兵器生産へ舵取りするための状況は整ってきています。そうした事を、わたくしたち一人一人が日常の仕事を通して社会での役割を考え、自分たちなりの考え方を持つ時期に来ています。難しいことかも知れませんが、考える時期に来ている事は避けられません。

わたくしは料理を作っていたい。休日には家族と過ごしたい。ウカウカできるような酒場での出会いも欲しい。気の置けない友人たちとゲーム会をして、花見もしたい。ドライブをして気晴らしもしたい。きちんと日常を送りたい。かの子の成長を見守りたい。社会が秩序と安心を維持するためにも、まずは仕組みと起きている事に興味を持ち続けていたい。その上でしか、快適な食事などできない気がしています。わたくしのできることを再定義しようと思う日々です。