デリカテッセンはあと3回。うじうじトニーももう終わり。

2021年9月15日お知らせ

いま時刻は午前3時を回ったところです。2021年9月15日水曜日の午前3時。布団に入って数時間が過ぎましたが、思うように寝付けません。無理に寝ても話にならないので、いま考えていることをつらつらと書こうと思います。

コロナ禍によって長引く制限。人の流れも乏しく、それは感染予防対策の効果でもあるけれど、飲食店を構える私にとって「魚がいない池で釣をしろ」と強いられている感覚です。仕掛けを作り、魚が釣れるイメージをして、浮きを眺めてひたすら待つ。餌は溶け、針が残り、引き揚げては「何がおかしいのか」と繰り返し考える時間。飲食店を利用するお客さまを魚だと言うのではありません。私にとっての魚は「料理」なのです。

私が陽性者を経験してからと言うもの、店内をご利用いただく飲食に緊張を覚えてしまいました。恥ずかしくも、情けないことです。自分は陽性判定でしたが、感染した自覚が希薄です。無症状だったこと、数日後に受けた検査では陰性だったこと、周囲に感染者が現れなかったこと、そういう状況を丁寧に集めたことが大きく作用しています。このこと自体は良いことでしたが、「感染の確率」のようなものを強く意識することに繋がったことは自明です。

結果として、店内でのご利用を遠ざけつつも自分にできる調理をしてデリカテッセンの形式で料理をご用意してきました。この2週間ちょっとの時間には発見もあり、料理の可能性に触れることもでき、ご好評もいただき、気持ちが報われる想いでした。陽性者として不自由な時間を経験し、食事の大切さを繋げたい気持ちだけで取り組んできました。先週の土曜日には1時間ほどでほぼ完売するなどの成果も頂き、皆さんへのアプローチもメッセージもズレてはいないのだと実感しました。

紙屋川スタッフで作業療法士のおはるにも、受診した歯科医にも、「日常的に緊張状態が続きすぎ」という指摘をもらいました。身体が硬く、力みが取れない状態です。このこと自体はコロナ禍以前よりあった症状と考えられています。奥歯のすり減り方や、股関節の可動域と身体の柔軟性欠如などにそうした時間経過を確認できるようです。私には無自覚で、指摘されて初めて気づく事ばかりです。

極度の緊張状態を持つ身体と、コロナ禍での成果を求める意識は、どこまで行っても緊張しかありません。気晴らしに出かけるにも制限がかかっています。気の置けない友人らと飲み交わす酒の場面もありません。偶然居合わせた人と交わり見つける時間の愉しさや、ドキドキするような出会いや、感銘を受ける会話や、頭を使って交わす議論なども消えました。私の日常で社交場として機能していた場所は、消えています。

例え一部で営業していても、先に挙げた通りの感染確率と予防対策がストッパーになり、「倫理」として私に働きかけてきます。自分のお店でお客さまへ制限を設けているのに、自分が制限を取ることができない性分も緊張を促進させている原因です。融通の効かない質ではなかったはずですが、いまの自分はひどく厳しいものだと思っています。

これは正しさや誠実さを量っているのではありません。制限を遵守することが倫理においての正しさではありません。その証拠に、飲食店主である私はもし協力金が支給される仕組みでなければ制限の強力にここまで応じることはなかったでしょう。倫理的に正しいから応じているのではないこのことが、まさに、自分を板挟みにもしています。協力金がなくとも、だからと野放図にして良い訳ではありません。私は協力金のために自分の倫理観を差し出している様な気分になります。

コロナ禍以前に賑やかだった店内の営みは、私の時間を多く奪いましたが充足感を与えてくれていました。私は働けたらそれが何よりなのです。睡眠時間も少なく、作業に追われる毎日で、寝ても覚めてもお店を動かすことしか考えてこなかった16年間がありました。思い切って2月を休業していても、頭の整理整頓を図って仕事へ立ち向かう準備にできました。休日にも充足感があり、働くことにも充足感があり、家族にも恵まれ、友人にも恵まれ、お客さまからも支持をいただき、スタッフたちにも恵まれた環境は多忙であっても苦ではありませんでした。

何よりそこには「成果」がありました。働いた分だけの、対価を頂きました。この世界の基準値は「労働」です。アダムスミスも『国富論』で指摘しています。労働に対する対価(成果)が得られて初めて、次のアクションを起こせます。贅沢にも協力金を受給し、日常にも時間が増え、家族との時間も作れ、読みたい本も読めるようになり、書きたい文章をこうして書く時間もあり、これこそが「普通」なのかも知れません。しかし私を構成してきた最も根本的な「労働に対する対価」が揺らいでいます。

工夫によって展開もしてきました。テイクアウトのお弁当や店内でのご飲食もあれこれと挑戦してきました。私の性格も手伝い、直ぐに方向転換をしてもきました。しかし、私はもっとライブ感のある仕事がしたい。張り裂けそうな、熱を帯びて、汗をかきまくり、声を出して、テンポよく、料理を作りたい。デリカテッセンをしていて得られる充足感は大切なものですが、ライブ感がないのです。朝からずっと仕込みを一人で行い、販売時にスタッフに来てもらい静かに販売します。デリカテッセンは今だけの特別な動きですが、ライブ感がない。私は皆さんに調理したての料理をご用意できずにいます。

今の世間の状況を考えればそんなことは自明なのですが、私は日常で抱える色々な苦悩も労働で発散できない状況です。がむしゃらに働き、ライブをすることで次の一手を生み出してきた気がします。いまは書籍やネットでの情報を頼りに、自分の想像力を働かせて繋いでいます。恐らくこの事は、私だけに起きている現象ではありません。多くの料理人たちが抱えている苦悩です。私たちは、「ただ休めるから良い」と切り替えることにさえ疲れてきています。少なくとも、私には限界です。

9月16日木曜日から18日土曜日の三日間を持って、デリカテッセンを終了します。最後の三日間、存分に作りたいと思います。

9月21日火曜日から店内でのご飲食を再開します。ですが、お酒の提供はありません。営業時間も20時までです。ラストオーダーは可能な限り伺いたいと思います。そしてこの流れをそのまま、10月に引き継げるように努力します。ライブ感を少しずつでも出せるように努めます。方法はあるはずです。今日はずっとこの事で悩んでいました。もうまっぴらです。私は料理を作ります。

これまでのメニュー構成を変える形で展開しようと考えています。デリカテッセンで培った料理サイクルは面白かったです。どうしたら皆さんに分かりやすく伝えられるかを検証する時間を9月中に終えられればと思います。9月24日は京都府による「感染予防対策認証店」の審査が入ります。堂々と迎えて、居合わせたお客さまにはニヤニヤと楽しんでもらえたらと考えています。審査は24日金曜日の18時から18時30分の間に係員が見えるそうです。

店内にご入店いただく方法なども一部、制限を設けての展開になるかも知れません。ですが、店内に来てくださったらきちんと料理をご用意します。具体的な内容についてはスタッフとも話して決めようと思います。感染の確率にビクビクすることはもうゴメンです。しっかりと感染予防対策を施します。どうか安心してご利用ください。残り三日間のデリカテッセンもどうぞお楽しみに。

そうと決まれば、明日にすべき事は自ずと決まります。

うじうじした時間を長く過ごしすぎました。いい勉強になりました。気分転換に豊橋の海へ行きたい気分なんて、本当に珍しいです。自分にもそんなセンチメンタルがあったことに驚いています。母に会えて、亡くなった友人の霊前に向き合えて、良い時間でした。

4時27分。再び寝ます。

皆さんにお会いできる時間を楽しみにしています。トニーは料理を作ります。