コロナウイルス感染の経過ご報告6

2021年8月17日お知らせ

地方行政の職員や、保健所の人々や、医療関係者を「当たり前に奉仕する奴ら」みたいに言わないでください。

「感染しないでください。ただ、それだけです。」

8月17日火曜日の朝。病院でのPCR再検査の結果がでました。「陰性」でした。素人考えでは「やったー!これでもう大丈夫じゃんかー!!」となりますが、そうはなりません。単純に検査結果が新しく出ても先の検査結果は覆りません。

なぜ覆らないのか。ひとつは、保健所が「陽性」という報告のみを受け付けるからです。「ええ?なぜ?!」と思われますか。今回の新型コロナウィルス感染症は「特定感染症」と呼ばれていて特殊なものです。「陽性」だけを処理する事で感染状況を把握はできます。陰性は感染能力も何もないので把握は必要ないのです。今回はこの前提を理解して読み進んでください。

「発生申請の仕組み」

陽性の報告しか上がらない仕組みなので、今回の様に「陰性でした」の声は届かないのが現状です。これは保健所が聞く耳を持たないのではなくて、そういう仕組みなのです。「陰性」を受理して処理する必要がないからです。ではどうすればいいか。陽性申請(これを発生申請と呼びます)した医師が「陽性を取り下げます」と申請した保健所へ届ける必要があります。

「発生申請取り下げ」をするために医師はもう一度、自分で臨床診察をして検査をしてその結果に責任を持って「陰性でしたから先の発生を取り下げてください」とする必要が出てきます。PCR検査は一般的に、医師が臨床診察をしてから検査の必要性を判断します。ドラッグストアで買って行う検査とは違いますから、きちんと医師の判断があることで「保健所は受理」してくれる仕組みです。

「格安検査について」

私の陽性検査は2900円という破格の検査でした。京都駅近くにあります。お手軽さが人気で、多くの人が利用します。このこと自体、私はいいことだと思っています。自分の不安のハードルを低くしてくれるからです。しかもお手頃です。問診もシンプル。発熱や濃厚接触の疑いがある人は利用できません。自主検査の場所だからです。検査数が増えること自体は良いことだと思います。

この検査をしてくれた施設は大阪の都島区に登録のある医療法人でした。HPを見ると確かに、その事も明記しています。しかし京都で検査した結果がまさか、大阪の都島区の「感染者数」としてカウントされる事までは知りませんでした。この事は大切なことです。医療法人は府県をまたげます。今回の様に大阪のクリニックが京都で検査をすることは法的にも倫理的にも問題ではありません。そして、検査結果が大阪でカウントされると知っていても、背に腹が変えられない希望者にとっては「大したことはない」情報のように思います。

「保健所が把握する流れ」

私も、そうでした。検査をするときは「とにかく検査結果が欲しい」という一心です。検査クリニックがどういう所属かなんて、気にしませんでした。経験された方もいるはずです。不安を早く取り除きたいのです。その不安に応えてくれます。この検査が「陰性」なら本当に問題ないです(ここで偽陰性・偽陽性について話しません)。陽性だと都島区の保健所へ発生申請がされます。陽性連絡は、

① クリニックからの連絡

② 都島区の保健所からの連絡

③ 京都の該当保健所からの連絡

④ 本人への連絡

という手順です。私は8月13日にクリニックから連絡をもらい、翌14日に大阪の保健所から連絡をもらい、翌15日に京都の上京保健所から連絡をもらいました。検査をした日を含め4日目です。幸い、無症状でしたからドキドキしながらも落ち着いて過ごしました。

私は15日に保健所から連絡をもらうまでに関わった人たちからの「陰性」検査結果をすべて確認していました。濃厚接触者も含めて全て陰性でした。すると、「私は本当に陽性か?」と思いました。妻は看護師で検査も陰性だったことから、職場からは復帰の要望があがりました。私は妻の職場へ事情を話し、「私の陽性が取り下げられなければならない」ことを説明しました。すると、妻の病院では「ご主人を診察して再検査をする」運びになりました。それが8月16日月曜日です。

「再検査のゆくえ」

上京保健所にもその旨と段取りは伝えました。そしてどうすれば妻の濃厚接触者が解除になるのかを伺いました。すると「水谷さんの陽性が取り下げられたら全て解除されます」と知りました。さきほど、説明した通りです。発生申請をした医師が「陽性取り下げ」を都島区の保健所へする必要があると言います(余談ですが、三原で過ごした際、私は動画編集をずっとしていて親族と濃厚接触にあたる事はなかったのです。同居家族、親族、恋人などは、友人やチームメイトと異なり、ほぼ濃厚接触者になります。三原の家は西陣の自宅の様に空間が一つではなく、部屋も多くありますから接触機会が少ないのでした。この事も説明に加えました)。それを受け、都島区の保健所から上京保健所へ連絡があり、初めて「陰性把握」という特殊な状態になります。

先にもお話した通り、保健所は陰性報告を受けません。そして妻の病院で「陰性」結果を得たとしてもそれは、発生申請をした医師が再び検査した結果ではありません。私は発生申請した医師と電話でお話しができました。内容はこうです。

「“陽性の取り下げ”という書類は存在しません。ですから「京都の病院では陰性結果だった」ことを都島区の保健所へは伝えられます。しかしその後は、大阪と京都の保健所がどう判断するかです。私ができるのはそこまでです。私が診察・検査をして「陰性」が出ても保健所は陰性を受け取りません。ですから、同じです。」

分かりますか。無理ゲーです。スペランカーです。私が初めに検査をした大阪のクリニック所属の施設で再検査しても、同じなのです。陰性が出ても報告がされません。この点について、保健所の方も困っています。何が困りごとなのか。「医療機関で臨床診察をしてからの検査確認によっての発生申請と、簡単なアプリ問診と検査で出される発生申請が同じように扱われるので大変です」と言います。確かに、なるほど。保健所の方も「きちんと医師が診察して、判断して、検査した結果であればそこに疑義が生じればその医師が「もう一度診察して検査する」と言うはずです。ですが、そうならないのはその医師が言う「保健所が陰性結果を受理しない仕組み」ではなくて、方法をご存じないか、取り下げる意思がないかです。大阪と京都での違いはあるかも知れませんが」と言います。

「感染する、陽性になる、とはこういうこと」

「隔離期間さえ大人しくしていれば解除されるのだから、黙っていればいい。」コロナウィルス感染で陽性者になるとは、そういう事だと理解しました。私はこの事に反対ではありません。むしろ、陽性判定が簡単に覆ることも問題です。しかも、二人の医師の結果がある状態では尚更です。保健所の方が話した「取り下げの意思の有無」が医師に委ねられていたとしても、他の医師の診断結果を先に診断した医師は採用しません。自分で再診再検査が必須です。大阪のクリニックにはそうした段取りがありません。

始めにお話したように、私は安価で気軽に検査ができることは良いことだと考えています。大阪のクリニックがおかしなことをしているのでもありません。そしてこのクリニックの医師がどういう専門であるのかも、また別の話になります。ですが同時に、こういう問題の時には「偽陽性」の疑いが晴れることもありません。つまりは、保健所の方の仕事は残ったままになります。私が陰性判断となれば保健所も作業対象が一人減ります。これはとても大切なことです。

分かりますか?問題なのは私の陽性が解除されることではないのです。問題なのは感染する事です。陽性の疑いをかけられることです。感染拡大をしないことが一番なのです。

「社会の理性は人間を見捨てません」

社会の構造や日常生活の快適さに関心がなくても構いません。あなたがどんな暮らしを選ぼうが、それは好きにしてください。楽しく日々を謳歌し、ウィルス感染を馬鹿にして軽んじて、毎日をパラダイスのように過ごしても一向に構いません。ただの風邪だと思い込むのも自由です。自分は感染しないと思い上がる事も好きに捉えればいい。この社会は、私たちの理性は、そんなあなたたちが感染して苦しんでも見捨てません。それはなぜか分かりますか?税金を納めているからではないのですよ。

この社会は、理性がまだ健全である社会は、私たちをまだ根底では信じています。私たちが存分に自由を謳歌する様を、この社会や日常にとっての幸福と、安心と、平和だと信じている限り、人々や社会が見捨てることはありません。税金を納めているから国からのサービスは当たり前なのではありません。そんな解釈はおかしいのです。気づいてください。それが成立するなら、丁寧に生きていて節度も持って暮らしている人たちの日常は何によって補償されるというのでしょうか。そんな節度は捨てて好きにすれば良いじゃないか、と誘いますか?私は反対です。多様な幸福の形を保障してくれるのは納税者だからではなく、人々が理性的にその保障の形を支持するからにほかなりません。

 「いいですか。これは私の個人的な意見です。」

すしぼんはもう、一週間ですよ。もう、一週間だ。泣けてきた。ちくしょう。なんで、彼が本を買いに出かけただけでこんな、こんな事になるのか説明して欲しい。自由を謳歌して、「税金を納めているから自分たちは何をしても構わない」と言うならば、いますぐ、今この瞬間に、彼を、すしぼんを快癒させてみろと言いたい。彼は幸い、回復に向かっています。それは本当によかった。皆の強い願いだし、そうあるべきです。

でもだからと、彼が一週間も苦しんだことを構わない事にはならない。私はきちんと現象を分けて考えています。だから彼が感染したことも、ある意味では誰のせいでもありません。彼もそれを承知です。私だって陽性結果は仕方ないと思っています。感染予防対策をしていてもなります。だからと言って、感染予防対策が無意味であることにはなりません。なぜなら、その効果は必ずあるからです。100%ではありませんが、効果はあります。

「100%、100%、うるさい」

感染予防対策を馬鹿にする人にはこの点を「100%じゃないんでしょ。じゃあ、意味ないじゃん」という論調があります。では尋ねますが、あなたの日常はあなたが想定する100%で動いていますか。そんなはずはないのです。100%なんて詭弁です。そんな風に完璧でないからこそ、協力し合ってその精度を上げなくてはならないと思いませんか。あなたが好きな100%に近づくには協力なくしては到底、無理なのです。

陽性者になって分かりました。隔離されれば外部からの支援なくしては乗り越えられません。この「外部」には、行政、医療、保健所はもとより、友人、ご近所、親しい知人も含みます。100%の支援など無理ですが、精度は高められるのです。この支援の在り方は、野放図で好きなように過ごしている人にとっては痛いほどよく分かるはずなのです。飲み仲間がいなければ楽しく飲むこともできない人ほど、支援のありがたさは分かるはずなのです。

「感染する日常など描くものじゃない」

私たちは「感染することは仕方がない」と諦めてはいけません。感染しても仕方がない日常など、どこにもない。そんなもの、作っても、肯定しても、いけない。いま現状がもし、そうであるなら実践して砕かねばなりません。「感染する日常」を受け入れることは断じていけない。派手な日常ではないかも知れません。希望した快適さがここにはないかも知れません。もっと好きな人と、親しい人たちと時間を過ごしたいかも知れません。そんな細やかな日常と感染する日常と、比べるまでもないはずです。

「短命で構わないから、私」という人も聴いてください。あなたは短命で構いません。選べはしないはずですが、そういう考えがあることは構いません。周囲をその切ない気持ちに巻き込まないようご注意ください。あなたは魅力的で、そこにいるだけで人を惹きつけ、人気もあるでしょう。だから望まなくても、知らず知らずにあなたと同じ気分になる人がいるはずです。あなただけでなるべく、閉じて欲しい。これは私の願いです。そして恐らく、あなたの願いです。

短命だろうと、長命だろうと、先にお話した通り、社会は見捨てません。多くの人が持つ理性は本当に素晴らしく成果を発揮していて、この部分はどこの国にも引けを取りません。もちろん、足らない部分はあります。もしその部分にきちんと気付くのであれば、チャンスです。その部分を改善できるのはあなたかも知れません。繰り返しますが、社会は100%ではありません。どの国も。どの文明も、社会も、制度も。だからこそ補い合う必要があります。

「そろそろ終わります」

そろそろ終わりにしますが、医療も行政も保健所も本当に大変です。私の陽性をどうこうするなんて、そんなレベルではないのです。作業を増やさないためにも。仕事を増やさないためにも。「税金を納めているから働けよ」って決して言うべきじゃない。地方行政の職員や、保健所の人々や、医療関係者を「当たり前に奉仕する奴ら」みたいに言ってはいけない。もうそんな次元ではないのです。どうかこの状況を改善しなくてはなりません。保健所から必要な連絡が直ぐには入らない状況です。もし、発熱してもすぐには対応できない状況です。その時に支援者がいれば救いです。ご家族ですっかりと隔離される対象になってしまうと、もっと大変です。

私はワクチン接種を2回受けています。PCR検査の精度はまた別の話です。とにかく、仕事を増やさないためにも感染予防対策を心掛けてください。すしぼんの具合は快癒してからご報告します。私のことも、大きな動きがあればまたご報告するかもしれません。感染しないことが一番です。ちなみに、もう納税してきたこれまの分(納税されたお金)は使い果たしています。残念ですが、感染を遠ざけてマーケットを健全化に向かわせることが最短距離です。長く社会を続けるためにも、必要です。

背に腹を変えられない人はどうすべきか。適切な機関にご相談ください。私たちの社会は簡単に見捨てたりしません。少なくとも、地方行政職員の多くは最前線で頑張ってくれています。100%ではありません。嫌な人に会うこともあります。分からんちんもいます。自分の思い通りにならない事もあります。しかし、誰かに相談してください。知恵を出し合って乗り切れる方法を見つけましょう。

私は静かに料理を作りたいだけです。派手でなくていいです。有名にならなくていいです。高く評価されなくても構いません。イルピアットの円町も紙屋川も、変わった店主が皆さんをお待ちしています。皆さんの日常に当たり前の顔をしていられますように。お店で再会できる日を楽しみしています。