「コロナウイルス感染のご報告5」

2021年8月16日お知らせ

「コロナウイルス感染の経過ご報告5」

2021年8月16日月曜日10:05。おはようございます。京都の天気は曇り。気温も穏やかで涼しいです。過ごしやすい朝です。5:30に一度目が覚めて7:00に二度寝。9:30に起床しました。体温計が非接触になったことで少し高めに計測されますが、36.2℃でした。

事務所で朝を迎えました。静かです。自宅は木造だからか、目覚めた時や過ごしている時の音や圧力が柔らかです。事務所はマンションなので重く、温度がない印象です。ですが、快適です。コーヒーを淹れました。いい香りです。

相変わらず無症状です。このまま1週間。KBSラジオを聴きながら過ごします。事務所にはロッキングチェアがあります。それを利用しながらダラダラできます。読んでいない書籍も多くあります。この機会にこの棚にあるものを読もうと思います。

料理本もここにあります。貴重な経験をしているので、この時間を有効に使おうと思っています。事務所に来ると、目覚めた時から仕事や作業のことを考えるのだな、と自分に呆れます。

「すしぼんの状態と状況です」

>おはようございます。たくさん眠れはしたんですが、汗かけず、七時くらいに1度目覚めたときはまだ熱も高く、水分補給したりトイレ行ったりロキソニン飲み足したりしてもう一度横になったら今度は汗かけました。ほんとに、クーラーかけずに居られるのはありがたいです!(ここまで)

すしぼんは高熱が続いてますが、「熱は上下しつつも下がってきていますし、僕の酸素飽和度はほぼずっと98%、一番辛かったときでも96を下回ることはありません」とのことです。

「医者も、「快方に向かってる。前向きに心を保って養生続けたら大丈夫だ!」と言ってもらって、そういうのを心の支えに前向きに頑張っています」とメッセージを受けました。

「前のめり過ぎて煽る行為の恥ずかしさ。心から恥ずかしく、反省しています。」

私は先にアップした内容が、今のすしぼんを表していないと反省しました。「トニーさんが書いてるようにここから急変という可能性がまったくなくなったわけではないですが、わざわざ文章になったものを読むと、僕はビビりなんで落ち込みます」とメッセージをもらいました。まったくです。

感染したり、陽性になったり、そういう事が本当に大変なのだと伝えたい気持ちが強く出過ぎました。文章を読んで落ち込んでしまった方には、大変な気苦労をさせてしまいました。辛い中でのさらに重たい内容でした。申し訳ありません。

「必ずよくなります。」

いまこの投稿を見ている方の中にも、苦しんで闘病されている方がいます。そうした方に対する理解を広めたい気持ちと、同時に、エールを送ることを考える時に、見誤ってはならない点があります。それは、「必ずよくなる」というメッセージです。

必ず、よくなります。その地点にたどり着くまでは苦難です。ですから、この苦難をクローズアップし過ぎていました。ごめんなさい。しかし、必ずよくなります。そして、その最短を目指します。

「回復プロセスに必要な支援について」

回復する為には支援が必要です。その支援は直接的な物理支援と、精神的な眼差し支援があります。物理支援は友人や周囲の助けから保健所・行政による支援まで具体的なものを指します。精神的な眼差し支援は、「関心を持つ」ことに他なりません。

「コロナ感染について関心を持つ」ことは、感染症状のある人に寄り添う支援です。そして、感染を防ぐ関心は、いま感染している人を支援している医療・保健所・行政の負担を減らす支援にもなります。

「社会資源を削ってはならない」

感染を抑えることで医療・保健所・行政、つまりは社会資源の確保を目指せます。この事は非常に重要で、感染拡大防止は直ぐに訪れなくても、長期的には社会の健全性を補償するものです。

社会資源を削り続ければ、健全なマーケットは失われます。仕事が減ります。給与も減ります。税収も減ります。行政サービスも減ります。セーフティーネットも弱くなります。社会が不安定になります。揉め事や事件が増えます。ルールが壊れて行きます。そうなると、イルピアットで愉しく食事ができなくなってしまいます。

「人類はもう、繰り返さない」

これは時間をかけて訪れますから、今はまだ足音も聴こえません。しかし、そういう想像はできるのです。歴史から振り返ってみても、同じ現象が繰り返されています。人類はこの繰り返しを防げるくらいに来てるはずです。知識と教養は非常に重要で、私たちは学習を重ねてそれらを実践的に使う為に獲得できています。

コロナウイルス感染は必ずよくなります。それは信じていいのです。それを信じられるように、直接的な支援と精神的な支援とが欠かせません(間接的支援もありますが、性急な場合はタイムラグ掛かり過ぎます)。

私たちの日常で関心を寄せて実践するだけです。感染予防対策はこの意味においても実に重要です。個々人の意識に委ねられているのは、社会を保つ意識がこの国にまだ健全にあると認められているからに他なりません。

「プラグマティズム」

私たちは、私たちの日常や暮らしを、私たち自身の意識と実践において、快適なものにできます。それは華やかで派手なものでは無いかも知れません。何となく日常が明るく過ごせる、そんな「ゆるい幸せ」程度かも知れません。いまの制限よりずっといいです。

コロナウイルスが存在してしまっている以上、それを陰謀論で語ってみても無くなりません。楽観論で説明しても、重症者は誤魔化せません。しかし、必ずよくなります。これは私たちがユーモアを取り戻し、きちんと意識し、眼差しを持って、実践しなくてはなりません。

「ユーモアを取り戻そう」

私は今回陽性者になって、いまここに、この瞬間にも、この国がユーモアを奪われたままだと感じています。フワッとした幸せや日常は、厳しい競争原理と利己心を笑い飛ばします。ユーモアを取り戻し、現象を捉え直さなくてはなりません。

すしぼんの指摘から私自身、ユーモアを奪われていた事に気付かされました。不甲斐ないことです。「ユーモアを取り戻そう」。自分たち、私たちの快適さの為にも関心を持ってください。それを実践してください。その姿にユーモアが取り戻されます。それを見た他の人が、やはり、ユーモアを取り戻す実践をしていきます。

これが「ユーモア主義」です。

すみません。熱くなりました。何の話でしたっけ。