イタリア料理について

2013年5月28日手記

今日は大阪でパスタランチを食べながら、「一体、イタリア料理はどう解釈されているのだろう?」ということを考えていました。今日食べたパスタは、イタリア料理ではないと思うのです。

イタリア料理は、イタリア料理の調理技法をきちんと用いたものを言います。

イタリア食材や調味料を用いればイタリア料理になるように思われていますが、それは(断固として!)違います。

イタリアの食材や調味料はイタリア料理の特徴を現しているだけで、それを用いればイタリア料理になるのではありません。

(あ、断っておきます。ご自宅で皆さんが気軽に作るイタリア料理に対しては「イタリア料理」と呼べます。お店をしてるわけではありませんから)

生ハムも、バルサミコ酢も、ラルドも、パンチェッタも、オリーブオイルも、ペコリーノロマーノチーズも、バジルも、ニンニクも、そのほかの色々も、イタリア料理を調理する際の特徴的な食材や調味料と言えます。少し難しい話をしますが、これらを使うだけでイタリア料理は作れます。作れますが、これらの特徴と性質を理解していない上では、(残念ながら)本当の意味でのイタリア料理へはきちんと転化できません。

生ハムのスライスをお皿に盛り、エクストラヴァージンオリーブオイルをかけて、黒胡椒をひけば、確かに、イタリア料理になります。しかし、なぜ生ハムをそうするのかを考えねばなりません。もう少し言えば、生ハムがどういうものかを理解しなければなりません。「レシピにはそうあるから、それを踏襲すればイタリア料理になる」と言うのは嘘なんです。「レシピ」にはそうなった意味と背景が必ずあります。

私もまだイタリア料理の勉強をしている身なので、全てを理解できていません。ただ、調理技法の背景と意味には近づいたと思っています。無数にあるイタリア料理の食材たちを全て知っているわけでもありませんし、使ったことの無い調味料や調理技術はまだ山のようにあります。それらはこれからの課題なのですが、本質的に、イタリア料理の調理技法を反映していなくては、「イタリア料理」と呼べないとはっきりと言いたいです。

このことはイタリア人だからといって理解できているものでもありません。和食を語るとき、家庭料理と日本料理には大きな差が存在します。例え同じ材料を用いて調理しても、それは違うのです。調理技術とはそういうものですし、日本人だからと言って日本料理が作れると言うのは違うのです。

使われている言葉が同じなので、どこかで同じ意味として広がりましたが、恐らく最初は単なる情報として「○○料理」と言われました。そしてその「○○」には国名や地域名が入るので、自分の所属と同じだけであたかも自分がそうできると思ってしまいます。情報として始まった言葉は、いつしかそれを表す解釈によく使われて文脈が変化して行きました。

重ねて言いますが、ご家庭で作られるどんな料理も「○○料理」と呼べます。これは呼んでいいのです。しかしその呼称は、その料理を説明する際に必要なたんなる名称です。なんなら、コミュニケーションのきっかけでしかありません。その料理を囲む際に、話題作りのための単語です。ご家庭で言われる「○○料理」に修練された技術と背景があれば本質的なものですが、一般的にはそういうことはありません。もう少し言わせていただくと、ご家庭で作る料理に必要なのは本質的な調理技法に対する理解ではなく、愛情と気持ちです。

イタリアの特徴的な材料を用いればイタリア料理になるような感覚は、本当に多くの店舗で見られます。それは例え、イタリアで修行をされた方のお店であっても見られます。「なぜこういう調理技法が必要なのか」という部分に思いを寄せていなければ、出来上がるものにイタリア料理と名付けることは難しいと思うのですね。これは感覚的な部分も重要ですから、言葉にできなくても良いのですが、関心を持って挑まなくてはならないと思うのです。特に、プロである私たちはそうであるべきです。

出来上がった一皿を食べれば、イタリア料理の技術が使われているのかいないのかは分かります。言い換えれば、分かってしまうものです。これはイタリア本土でも同じで、イタリアだからとイタリア料理の技術を反映できているとは限りません。日本だからと、和食だからと、そうで無いようにです。お刺身の切り方、整え方、しつらえ方ひとつとってもそうなのです。きちんとした技術を行使した料理には、その技術の歴史も重なります。必ず、意味があるのです。

ミシュランの調査員の方がその能力に長けているとは到底思えませんし、食べログユーザーならばもっと有り得ないのです。単にたくさん食べに行けばいいというのは浅はかで、その調理と料理の意味に思いを巡らせられなければ、本当にそのお店の評価などはできようはずもありません。好き勝手にジャンルを決められる事にも抵抗を覚えるものです。イタリア料理の技術を反映できていないお店でも、パスタを出していればイタリア料理だなんて言うのは横暴でしか無いと思うのです。

そんなパスタはイタリア料理ではなくて、単なるパスタ料理です。

中華料理から派生したラーメンがあります。日本のラーメン専門店は、もはや中華料理店ではありません。ラーメン屋はラーメン屋です。そこに中華料理の技法を取り入れるか否かは、お店の特徴でしょうけれども、そうであるべきと言うものではありません。ラーメン屋というジャンルを見ても分かるように、パスタというジャンルを作ったほうがまだ分かりやすい。パスタを使えばイタリアンだなんて、嘘ですよ。パスタ料理はパスタ料理でそこを追求すればいいと思うのです。中華料理から派生したラーメン店のように、独自のカテゴリーを作ればいいと思います。むしろ、そうであって欲しいです。

イルピアットは9月からランチ営業になります。ランチにご用意するのはパスタが主軸になりますが、決してパスタ屋ではありません。しっかりとイタリア料理の技法を用いた内容を、バカまじめにご用意します。何が違うのか、召し上がっていただければ分かるはずです。イルピアットは完全なイタリア料理店です。アラカルトが無くても、ベタベタなイタリア料理は変わりません。身に着けてきた調理技法を圧縮して、濃縮して、限定的ですが、しっかりと振るいたいと思います。

まとめますが、料理のジャンルは材料ではありません。その調理技法です。カツオ出汁を利用しようと、私がイタリア料理を作れば必ずイタリア料理になります。ホームセンターで販売されている家具は「家具」という名称ですが、本当の家具というのは、家具職人が作り上げるものにだけ与えられるものです。同じ言葉であっても、全く違うのです。そういうことが、あまりにも多いのだと再認識できた大阪ランチでした。

ややこしいかな?