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今日は父の誕生日。2019年8月11日。

2019年8月11日ミズタニ行進曲

 今日は父の誕生日。2019年8月11日。現在、時刻は10時57分。生きていれば74歳。父は3年前に亡くなった。不思議に思うかも知れないが、今もあまりその実感がない。葬儀も私が主導で整えて執り行われたのだが、何というか、「そういう行事があった」という気持ちのままだ。私は父が亡くなってから一筋の涙も流していない。亡くなった悲しみという、一般に言う重苦しさや悲嘆に暮れるような気持に陥っていない。父は確かに亡くなっている。しかし、ぽっかりと穴が開いてしまったりしていない。父の存在と父への意識は、私の中で未だ健在なのだ。

 振り返ってみると、亡骸もきちんと見ているし葬儀もした。「お坊さんが手配できない」と葬儀屋に言われ、通夜も葬式も日が延びると言われた。7月8日。それは困ると思い、九州の僧侶をしている友人に連絡をして裏から手を回してもらい僧侶の手配もした。私は母から父が亡くなったという連絡を受け、礼服を着、まとまった現金を持参して豊橋へ入った。全てが終わるまで京都へ戻らない決意だった。葬儀に来た親族に「一度帰って、また来たのか?」と尋ねられた際、「いえ、全て整えてから直ぐ来ました」と答えた。「お前はしっかりしとるわ」と、呆れたようでも、感心されたようでもあるような言葉をもらった。
  

 葬式当日は豪雨だった。通夜から葬式に至る今でのドタバタもよく覚えている。マイクロバスの手配や火葬場で出す弁当の種類、来訪者への乾き物と飲み物の用意、僧侶のお布施の見積もり、兄のわがままに付き合わされ激昂もしたし、母の気持ちを最大限に活かす工夫の考案もした。通夜も終わり、誰もいなくなった葬儀場でひとりビールを飲みながら父の遺影をずっと眺めていた。式場には私だけ残った。私は「死んだなぁ。」とつぶやいた。

 生きていれば74歳。太平洋戦争の戦禍が苛烈を極めた時期に父は胎児だった。日本が敗戦する4日前に生まれた。本当にでたらめな人だった。にも拘らず、私は父を恨んだり憎んだりしていない。嫌いでもない。昭和時代の人間が自然と身に纏うギラギラした空気があった。貧しさに対する恥ずかしさよりも、「貧しいのに生きられる事」の自尊心が強い人だった。父は旅行にも連れて行ってくれたし、遊んでもくれた。パチンコを止めない父に悲しくもなったが、嘘をつく人ではなかった。私は父が好きなのだと思う。

 苦境に陥って首が回らなくても、逃げながら生き延びる強さがあった。逃げ出すことや諦めることは敗北じゃないような気にさせた。誤魔化し、取り繕い、飄々と、調子よく立ち回った。私にはそういういい加減さがない。だから、そんな父の存在も父への意識も健在なのだろう。父は生きていようが、死んでいようが、私の中で74歳を迎えた。

父さん。誕生日、おめでとう。まだまだ、追いつけないわ。