NEW

休暇をいただいていました。「自分のしたいこと」が変化することについて。

2025年9月8日お知らせ

2025年9月8日の月曜日です。
おはようございます。お久しぶりです。8月31日〜休暇をいただいていました。友人らと語らい、遠方へ足を運び、ゆっくりと移動して、のんびりとした時間を過ごすことができました。読書をして、車窓からの景色に見惚れ、そこに暮らす人の様子を眺め、これも日常の一つだと噛み締めていました。

今回の休暇は文章を書けるような滞在はありませんでした。月曜日の今朝、紙屋川の掃除をしながら「いい店だなぁ」とつくづく感じていました。開放感があって、どことも同じでないデザインがあって、借景である緑があって、川の流れる音が聞こえる。私は温泉街が好きなので、川の流れる気配や音が大好きです。もちろん、潮騒が聞こえるならそれも格別です。自然の気配が近くにあることは落ち着きます。紙屋川を掃除しながら、この店の良さをきちんと発信できているだろうか、この店の楽しみ方をきちんとプロデュースできているだろうか、ここで提供したい料理をきちんと作れているだろうか、そんなことを考えていました。

イルピアットは円町も含め、私が「自分が利用したいお店」として作っています。私がお客だったら行きたいお店を念頭にしています。これはロカレのケントさんも同じのようです。そしてきっと、どの飲食店も「自分が一番使いたいお店」を念頭にされているものと思います。だから結局、一番好きなお店は自分の店なんだと思います。自分がお客さんとして利用したい。そんな気持ちです。利用できる皆さんが羨ましいです。

円町は、スシボンのBAR、まちこさんを筆頭にした喫茶などの展開も「私が使いたいお店」として展開していました。内容や成果については様々な見方はありますが、私の感覚を伝えることは難しいのだと勉強にもなりました。働き方や快適さ、サービスの提供などは感覚による部分が大きい。意識をすればできるものでも、マニュアルがあればこなせるものでもないように思います。働くことについては、その時間、その現場にいれば働いたことになるような認識があります。私もそうです。だからこそ、働いたことに「きちんと」を加えられるようにと考えます。この「きちんと」が感覚によるものと思うわけです。

友人らと会って話した内容のほとんどが「快適さ・居心地の良さ・充実とは・働くとは・暮らしとは・成功とは」などです。この内容は個別には一見するとバラバラですが、全て関連しています。そして一貫していたのは「言葉を疑う」という点でした。特に「成功する」という言葉は一番怪しかった。何が成功なのか、成功など本当にあるのか、それは何のために与えられた言葉なのか、などの話は面白かったです。このどれもに答えは出ていません。友人らとの会話はそれ自体に意味があって、答えを求めるものではありませんでした。議論できてとてもよかったです。

ミズタニラジオでも話していますが、「居心地の良さ」についてはとても場当たり的で難しい内容になりました。土曜日に会った友人と話した内容に「テーマの設定」がありました。なるほど、と思いました。新山口から乗車した新幹線自由席でのはちゃめちゃ具合を持って「自由席ではなく、自由車両だ」と話す私をゲラゲラ笑っていた友人。テーマが「自由=身勝手」だと受け止められてしまった車内はカオスでした。自由席なのに「友人が新大阪から乗車するんで」と言ってはばかり三列シートを広島から独占する女性がいたり(指定席を取れよ)、自分のゴミを空席の隣テーブルに置いて利用者がいるように装ったり(新大阪で外国人が乗車し、思い切りゴミを寄せられ座られてしまいました)、他にも様々なことがありました。

「テーマ」を設定すると、そのテーマ内の人々が集って居心地は良くなるかも知れない。しかし同時に、居心地の良いグループが作られると、その縛りも生まれます。内部からそのグループについての不安や指摘などは出にくくなるものです。内部告発は難しい。生まれたグループはそれ以外のグループとのいさかいも生じます。揉め事ですね。グループの大きさや権力の有無によって争い方が変わります。居心地の良さは、抜けられない怖さや同調圧力といった別の問題も生みます。車内放送で「譲り合ってご利用ください」と仕切りに訴えますが、聞き入れらるはずもないのです。なぜなら自由車両なのですから。

お店をする際に「テーマ」を設定しますが、成果として売り上げが振るわないとテーマの改変を考えます。この時、「自分がしたいこと」と「お店としてしなくてはならないこと」がせめぎ合います。丁寧に提供すれば売り上げは知れている。簡略化して売り上げを伸ばせば、本来したいこととは変わって行くかも知れない。テーマの改変によってお客様が増え、売り上げが伸びると「この方法が正しかった」と思えます。自分がしたかったことは「自分の手で売り上げを伸ばすこと」になり、「自分がしたかったこと」の内容も「(例えば)丁寧にひとつずつ作る」ではなく「自分の技術で売り上げを作る」という風に改訂されます。

政治家もそうかも知れません。そしてこれは、働く多くの人々がそうかも知れません。「自分がしたいこと」は給与や役職、生活の質などに還元されます。その効果や成果を味わうと「この暮らしが欲しかった」と、自分が「したかったこと」も変化します。あえて、「ブレてくる」とは言いません。人はそうした変化をしていいものだと思います。そして「ブレる」とは難しい表現です。変化とブレる。近いようで全く違います。私たち自営業者は「ブレる」ことを極端に嫌います。嫌悪さえします。変化を受け容れて成果を上げたお店を見ると「自分はブレずに頑張っている」と嫉妬を抱きながらもがきます。

私はもがく美しさも、変化して手にする報酬も美しいと思います。どちらも必死です。必死に美しさの違いはありません。それぞれの美学が違うことを認められるといいのですが。「I’m donut?」の手法は見事です。「アマムダコタン」も同様です。多くの人を集客できるでしょう。そしてそれは「成功」に映るかもしれません。ですが「成功」と映ることと、そうであることは全く違うものです。この点は非常に興味深い。美学が違う。だからこそ、それぞれに追求すればいいかと思います。

「自分がしたいこと」は忙しくなってしまうと、私の場合はやりにくくなります。かと言って、暇だと成り立ちません。続けることも難しくなる。I’m donut?のような手法を取り入れることもできません。つまりは、大きな成果は獲得できないし、小さな成果だと自慰行為に陥ってしまう。利用する人々が自慰行為を消費するということはストリップですね。私の「自分のしたいこと」はストリップではありません。そうである人はその美意識を守ればいい。この点について、飲食店はとてもバランスが難しい時代になりました。

売り上げがなければ続けられません。かと言って、方法ややり方、美学を曲げたくはない。ひろゆきやホリエモン、その他のビジネスチャンネルに出ている人々からは「そんなこだわりがあるから結局は続けられない」と指摘されそうです。私は営業を続けるためにも、そのこだわりを維持しつつすべきことがあると考えます。すべきことは「したくないこと」かも知れない。しかしそんな事は構わないのです。見えないように、知られないように、したくないことをするんです。もちろん、見えてもいいし知らせてもいい。大切なのは「したくないことをしない」ことではなくて「したいことを続けること」です。

私は紙屋川を掃除しながら「この店はいい店だなぁ」とつくづく思いました。だから、このお店を続けたいです。そのためにも、料理をもってお応えしたい。いまの紙屋川は素敵だと思います。これからも良くなります。頭のおかしい内装もいきいきとして来るはずです。Instagramで見受けるキラキラしたリール動画は広告です。そして、その広告を広告として見ている限り、影響は免れません。現代の広告はそのようになっているのです。そもそもその広告を疑えない限りは、その広告を批判しようが嫌悪しようが、影響を受けているということになります。この点についてはリテラシーが必要になります。

休暇中、Instagramをしませんでした。気持ちがいいです。頭がスッキリしています。これからはお店の情報を投稿してゆきます。プライベートについても少し投稿します。ですが、他の人の投稿閲覧は少なくなります。お手数ですが、イベントや必要な事柄はDMください。間違いなく見逃します。私はSNSとの距離を考えていますが、測るのは難しいです。不器用になりますが、どうぞよろしくお願いします。やはり、読書がいいですね。風景もいい。人の暮らしを眺めること気持ちいい。その中に溶け込めることがなお気持ちいい。

長くなりました。飲食店の営業まつわる細かな内容は割愛しました。また興味のある方はお話ししましょう。イルピアット円町の利用についてもテーマを設定できればと思います。いろいろな人とお話ししたいです。よろしくお願いします。

さて、明日から9月メニューです。今日はメニュー替えです。夜にはメニューをお知らせできると思います。火曜日の初日、まだご予約はゼロです笑。そんなもんでしょうか。紙屋川、いいお店なのになぁ。皆さんご利用をお待ちしています。いつもありがとうございます。