1.社会学的まなざしについて

2011年1月16日手記

「社会学」はその名前の通り社会のすべてがその研究対象です。もう少し言い換えると、全ての現象です。私たちの身の回りに巻き起こる全ての現象を、社会学では分析の対象として捉えることができます。人と人とのつながりを「関係」と呼びますが、その関係のまとまったカタチ(様子でもいい)が「社会」と呼ばれるものです。社会学的まなざしとは、この「関係」の理由に迫るところから始まります。

私は大学時代、『ウルトラマン』の作品分析をしていました。「ウルトラマンは世相風刺番組だ」ということを明らかにする分析です。「カルチュラルスタディーズ」というメディア分析方法を用いての分析をしました。この分析方法を簡単に説明すると、作品内の関係性をバラバラにして意味を見つけ、作品に込められた思想や意味などを明らかにするものです。この分析方法を学んでからはメディアにとどまらず、社会に巻き起こる現象の「意味」を考えるようになりました。

「関係」と「意味」について考えることが私にとっての「社会学的まなざし」と言えます。社会学はその主観性から「学術的でない」との批判を受けます。「誰もがそのように捉える訳ではない」という論調はある部分で正しいのです。私が社会学的なまなざしで見た現象を、全ての人がそのように捉える訳ではありません。ひとりひとりがバラバラなまなざしを持っています。見方・捉え方はバラバラなんですが、それを説明し、まとめることで多くの人が共有できる考え方を目指します。それを「概念」と言います。

「概念」は時代や社会の情勢によって変化します。ある条件や法則の下では変化しない化学とは異なり、社会の現象と意味は刻々と変化します。それは社会を構成するものが関係であり、その関係を築いているのが人間であり、その人間には感情があるからに他なりません。感情はシステムではないので、決められたようには変化しません。同じように、社会も決められたようには変化しないのです。その変化を左右するものが「概念」です。

少し難しい言い回しが続きました。少し簡単に。例えば、『ウルトラマン』に登場する主人公のウルトラマンは「正義の味方」と理解して視聴者は見ます。歌に「光の国から正義の為に」という歌詞があるくらいです。作品内で語られる「正義」という設定は「ウルトラマンvs怪獣」で証明されます。証明されるんですが、ウルトラマンは実に素晴らしく「怪獣が悪とは限らない」設定がいくつもされています。

分かりやすく言うと、正義という概念は悪の存在によって確認されるのですが、何が悪であるのかまではよくわからないままなのですね。怪獣が町を破壊する、宇宙人が地球を侵略しようとする、これらは悪の動機も見えるので「ウルトラマン!助けて!」と叫びたくなります。悪の設定が曖昧だと、正義の設定も曖昧になってしまいます。光の国から正義の為に来てくれたにもかかわらず、曖昧なシリーズがある。『ウルトラマン』が世相風刺番組であることは、このことからもはっきりしています。

社会は単純な色分けで構成されていません。何が良くて、何が悪いのかがはっきりしないことが溢れています。作品『ウルトラマン』は、そんなはっきりしない社会を反映して生み出されたものでした。しかし先に述べたように、概念は情勢や時代によって変化します。『ウルトラマン』に見られた正義は、今でも正義として通用するでしょうか。逆説的に、作品に登場した悪は?「社会学的まなざし」は常に疑問を持ち続けるところから始まります。

それでは、社会学的まなざしの世界へようこそ。