少子化について

2013年6月9日手記

政府が少子化に歯止めを掛ける為に「結婚・出産・育児」をバックアップできるように施策をまとめると発表した。先日には大学入試制度の改定協議開始というニュースもあった。いろいろとこれまでも策を講じてきたが、なかなか成果は上がっていない。それもこれも、政府は根本的に何が問題であるのかを知っているのに、そこを直そうとはしないから仕方がないように思う。

少子化を表す指標に「特別出生率」というのがある。一世帯辺りの出生率を計算するものだが、先日発表された数字は(確か)1,14人だったと思う。子どもは基本的に2人の大人から産まれるので、1,14人だと減る計算になる。2人から2人以上生まれないと、増えて行かない。もうかなり前からそういう傾向だが、子どもの出産と育児にまつわる環境整備はひどくなる一方の印象しかない。一体政府は、一世帯辺りどれくらいの所得があれば子どもを2人育てられると考えているのだろうか。

暮らしぶりは人によって様々なので、消費行動パターンににまで言及はできない。しかし日常的に掛かる費用を所得から引くと、自由になる金額は明らかにできる。日常的に掛かる費用はざっと下記の通りである。

○ 家賃(これは住宅にまつわるお金なので、ローンも同じ)

家族3人で2DKの住居に暮らすイメージで、家賃は大体8万円前後だろうか。

○ 健康保険費(社会保険・各種組合保健費も同じ)

健康保険費は前年度の所得に応じて算出されるが、京都市の場合は年収400万円で年間の国民健康保険料金は55万円くらいだろうか。13%~14%くらい掛かるはず。国民健康保険費は6月に算出されて7月から徴収(だったかな?)なので、12か月分を10ヶ月で支払う形式だったと思う。一ヶ月に掛かる国保は55000円。社会保険や各種組合保健に加入の場合はもっと安くなる。

○ 年金(厚生年金も同じ)

年間で17万円くらい。これは所得に応じて変化するのかな?一律だった気もするけど。一ヶ月14000円くらい。

○ 生命保険(任意だが、世帯を構成する上では必要不可欠に思われる)

全労災や国民共済などの加入は4000円くらいのプランからある。夫婦で加入し、入院保障をつけて12000円くらいだろうか(あと、40歳以上になると介護保険費が加わる)。

ここまでで、単純に計算して一ヶ月に掛かる費用は、16万1000円。 大体16万円か。

クルマを持っているなら自動車保険が加わり、養老保険に入っていればそれも加わる。

年収が400万円という計算だと月給は33万円くらいになる。ボーナスが別途出るならば年収は500万円くらいになるだろうか。ボーナスなんて皆出てるのかな?

一月、現金で30万円ほどの所得がある世帯なら 30万円 - 16万円 = 14万円  が自由になる金額。

この14万円から今度は、

電気代 、水道代(2ヶ月に1回) 、ガス代 、携帯電話代 、インターネット代 、などが掛かる。

私の家で考えて見ると、 光熱費と呼ばれる上記の合計は 35000円~40000円くらいだろうか。

こうして考えると、自由になるお金は大体10万円くらい。10万円で食費と遊興費と消耗品費と貯金をする。これが充分か、不十分かは個々人の嗜好によるわけだが、私からすれば充分な金額である。

しかし、ここに育児が加わってくる。

年収400万円くらいの世帯が市立の保育園を利用する場合(保育料金資料の「D6」に該当なので)46700円くらい掛かるのかな。3歳以上だと値段はグッと下がるし、保育時間に応じても値段は変化するので実際には個別で金額は変わる。なので、大体、自由になる金額から45000円保育費を引いて残りは55000円。

児童手当が3ヶ月に1度6万円支給されるので、1ヶ月2万円加算できたとして、自由な金額は7万5000円くらい。

こう考えると、子どもを一人育てる事をイメージすると年収は400万円ほどは欲しいかなと思われる。奥さんがパートに出ればもう少し足しになるし、祖父母が健在でバックアップしてもらえるなら、なお心強い。祖父母が顕在の場合、子どもが小中学校に通い始めるくらいで今度は介護という話が加わってくる。

話を戻して。

少子化である。結婚や出産や育児をし易い国づくりというが、所得の底上げ無くして何も変わらない。教育に掛かる費用も、所得に応じて変化している。教育費用から進学できる範囲が決まってくると、就職先の所得もある程度決まってくる。高学歴だけが決していいとは思わないし、専門職で技術を身に着けることも重要であるし、肉体労働でガッツガッツ稼ぐ事だってできるだろう。ポイントなのは、選択肢の獲得だと思う。

どんな環境であっても、どんな教育であっても、どんな社会であっても、「選べる」という環境を整備する事が重要だと思う。しかし政府はそんな事を考えてはいない。生育環境に応じて就ける職業を規定し始めているのじゃないだろうか。言い換えたら「色々選ばさず、落ち着かせよう」という設定である。大学入試制度の改定案は面白い内容だが、複数回の内でよい結果を使えるようになれば、賢い高校に価値はより集中して競争は緩和されることは無いように思われる。そこに通っている子どもたちの可能性は広がるが、結局、激烈さは変わらないように思う。

月々に掛かる費用から、結婚して育児をする際にどれくらいのコストが欲しいかを前回、少し明らかにして見た。モデルケースを年収400万円に設定したのは、実は、掛かる費用から逆算している。「これくらいは欲しいな」という金額を考えたとき、丁度いい自由度を持てる金額が月額30万円くらいと考えた。

夫婦共働きで合算した月給が40万円程度の場合、奥さんが妊娠して出産すると金額が減る。乳児期の育児期間をどれくらい設けるのかにも左右されるが、産休・育休がきちんと機能する職場であれば少しの足しになる。しかし実態は、職場に籍を残しておけても産休・育休手当ての仕組みは万全とは言えない。多くの場合、出産に伴って退職するケースが多いと思う。その場合、月額予算は旦那さんの給与のみとなる。

出産、乳幼児期の育児に母親である奥さんは殆ど付きっ切りになる。家事をする時間を作る事だって本当に難しい。「家にいるならできるだろう」 「昔の人が出来たのだから出来るだろう」などと考える男性は多くいるが、それは本当に悲しい無理解でしかない。乳児はこちらの都合で寝たり起きたりしない。育児をしてみると、想定外の濃密さに辟易とすることは誰にでもあることだ。これには性別が関係しない。女性は出産を経験して育児に向き合う時、自分の勤めだという自覚を下に頑張る。しかしその勤めには、絶対的にサポートが必要である。そして経済的なゆとりは、何においても必要な要素となる。

「放って置いても子どもは育つ」というのは、生物の成長を指しているのに過ぎない。子どもは放って置いては育たない。人間として育てる為には時間とお金が必要である。政府は「結婚・出産・育児」がし易い社会を目指すと言うが、今ある格差だけでもとても過酷になっている。私は、単に「結婚すべきだ」・「出産すればいい」という風潮は良くないと考えている。政府が何の為に結婚を促しているかと言えば、続く出産・育児だろう。日本の人口減少に歯止めを掛けなければ、産業を担う担い手を喪失して国力は絶対的に衰退する。政府は国の為に「結婚・出産」を促すが、その「国」が今のままでどうしろと言うのだろうか。

所得格差に見られる育児環境はそのまま教育環境に移行する。教育環境の振り分けが経済的格差によって行われると、階級社会が出現する。階級社会が出現すると、それが文化となる根を張り始める。階級社会がその国の文化になると、生まれた時点で生き方が規定されてゆく。生まれた時点で生き方が規定されれば、耐え難さと不満は増大して社会的に軋轢を生み出す。社会的な軋轢の背景が階級社会に根ざすと、平等の概念は崩壊に向かう。平等の概念が崩壊に向かえば、争いが起こる。争いがそこかしこで見られれば治安は悪化し、国としての信用を失う。国としての信用を失えば、外交力は喪失し、他国からの干渉を容易くこうむる事になる。国内治安と外交力を失った社会は混沌となり、不安定になる。

日本は階級社会を目指している。これはもう数年前、十数年前から淡々と進められてきた。教育を管轄する文部科学省の子ども達は公立の小・中・高に通っているだろうか?否。おそらく大半の官僚子息は有名私学だろう。これは憶測でしかないので、私の印象である。しかし、彼らが整備する教育環境は「最低限度」というカッコ書きで、福祉に基づいた概念でしかない。中央教育審議会は階級社会の出現を防ごうと考えたりしない。少子化が激しさを増せば増すほど、教育環境の差別化は避けられない。一人に対して向かう期待値と費用は、少子化社会では増大する。所得が多ければ多いほど増大し、その教育格差は広がる一方になる。

公立教育が悪なのではなく、また、足らないのでもない。子どもの努力次第、勉強次第、環境次第、所得はそれほど関係しない、という余地もある。もとろんそうだ。しかし同時に、そうした余地に落ち着けば落ち着くほど、格差は容認されていく。階級社会は突然、出現しない。徐々に、ゆっくりと、選んだ結果であると落ち着かせながら、進行する。少子化対策に本腰を入れるならば、同時に、どんな人間を育てたいかというビジョンもなくてはならない。階級社会化した中では、安心して結婚から出産に至る動機を持ち続けられない。

消費行動が高次元化してしまった現代では、他者との差異にも敏感になる。消費行動の差異意識は、階級社会を支えるプロパガンダになる。これは本当に明らかで、持てる人と持てない人とでは獲得できるバリューが大きく異なっている。ここにおいても、所得格差は出現する。生活全体を覆いつくす暗い感覚は、経済的なゆとりによって左右される。「清貧でいい」と言える人が羨ましい。修行を伴うような精神的鍛錬を潜り抜けて、社会的な規範と差異意識を克服できれば、貧しくても幸せと言えるのかもしれない。

しかしながら。

子どもは愉しい。しかし国の為に生まれてきたのではない。政府の要望に応えたのでもない。何かの政策の結果に子どもが増えるときは、少子化対策が上手く機能した成果ではないと思う。子どもを作り、産み育てたいと思いたくなるような社会を政府は考えようとしていない。高ーい所から見下ろす政策を続ける限り、その感覚は庶民と乖離して行くばかりである。年収400万円を保障する為には何が必要か。そして、その生活モデルを丁寧に表示して欲しい。そしてそのモデルを表示する際には是非とも、国会議員の給与を500万円程度にして欲しい。「政治には金が掛かる」という文句は「男は働いている」という文句と同じように聴こえる。

全てはやりようだぜ。

少子化対策をこちらに投げる前に、自分達の立っている位置を下げていただきたい。階級社会ではないのだと言うのなら、それを見せて欲しいと思う。バラエティーに富んだ多様性の価値。それぞれの職業にある意味と価値を作り上げもせずに、高等教育を促しても響きはしない。どんな人材が欲しいのかをもっとアピールして欲しい。そのイメージから逆算し、人材育成コストが足らないのなら、それも表示して欲しい。国のためというならば、今の国の状態と状況をきちんと示して欲しい。所得階層がどのように形成されているのかを表示してから少子化対策を謳って貰いたい。