ママカースト

2013年6月5日手記

最近、スクールカーストという本を読み始めていた。そして今日、ネットニュースに気になる表現が。

「ママカースト」。

スクールカーストは学校などに出現する顕著な現象だと思う。しかしそれは社会でのある小集団にも起こる現象だと、私は解釈していた。そしてその小集団は、学校の教室のようにある共通目標と意識を共有する集団である。

社会にポコポコと湧き出てきていて、しかも、縛りの厳しい眼差しと競争意識、高慢な生活向上主義的な雰囲気はいずれ社会問題になる。

それを一層支えるのが経済的な格差社会の仕組みであり、問題の解決は経済成長戦略にもリンクするので、ありとあらゆる場面で顕在化してゆくはずだ。

所得格差のある水準を危険水域に設定して、生活の水準、教育への投資、生育環境・住居環境・生活地域の噂、就職先の序列レベル、結婚相手の資質、そして、所得格差、子どもの育児・・・・と循環してゆく価値観は、二巡もすれば文化的なベースを作り上げてしまう。

このループから抜け落ちることを「失敗」や「凋落」として捉える価値意識が高まれば、そこに残ろうとする苛烈な比較意識はどんどんと増幅してゆく。

人生を、生活を、謳歌するための選択肢のはずである。そしてその選択肢には失敗もつきもののはずである。ファンタジーと現実の往き来ができない閉塞感は、遊びをなくしてゆとりを奪う。自分ができる範囲で、できることを。背伸びはたまにすればいい。

この世の中を生き抜くために最も重要なのは所得の多さではなく、所得の使い方であり、知性と実行力と適応能力と嗅覚がそれを支える。

社会の仕組みと今の情景とをいかに理解するのか。

絶望感と嫉妬が覆う社会は必ずその後に混沌期が訪れる。バラエティー(多様性)を失った文化と社会と文明は必ず短命である。

関心のある方は是非とも「ママカースト」を検索してください。

いやぁ、ワシもまとめてゆくぞ。