きっと、頻繁に起きる現象になる。

2013年6月5日手記

先日、広島県の三原市で無理心中を図ったと思われる報道があった。そして今日、千葉県柏市でも無理心中を図ったと思われる報道があった。三原市での報道を耳にした際に、これから無理心中は増えるのだろうと私は思った。

アベノミクスによる株価上昇や円安、そに他にも消費行動に明るい話題があるかのような報道が連日されているが、私はごく数パーセントの事象だと見ている。政府は消費税を引き上げるコンセンサスをどうしたって得なくてはならないので、景況判断が上昇しつつあるという演出をしなくてはならない。消費税は来年に上がると決まっている訳ではないのに、もう上がる前提の報道しか流れない。

消費税はそれでも、しれっと上がると思う。もうそれしか手段はない状態でのカードである。ポイントなのは、手段のないカード切りは、そのゲームの敗者確定であるということだ。日本経済にもう手段は残っていない。そして、他国はその前提で計画と施策を練っている。もうそれは、手ぐすね引いて待ち構える蜘蛛の巣の様相である。

日本の社会において、無理心中は余程の決断でなければ起こらない現象だと思われている。私は昨今の事情からそんなことはないと考えている。今は(言い方は少々雑になるが)「携帯電話の料金を払えないから一家心中する」という現象が起きてもおかしくない社会になってしまった。やり直しが効かない社会の眼差しには、絶望感しかないのである。

社会は時代と背景によってその価値観を変化させるものである。やり直しが効かない社会では、未来を悲観する人間を多く生み出してしまう。そしてそれは、自殺率や犯罪率をも増大させる。そうした流れは社会と文明を破壊して、自分たちの安穏とした生活を揺るがすきっかけとなりかねない。

もう今は1970年代のような近隣とのお付き合いも、頑張れば何とかなるという予感も、貧しさを隠さず同じ物を消費できた自由度も無くなってしまった。行政が援助の必要な国民に向ける疑いの眼差しと、政治家が発言する無責任でどうしようもない考えと、SNSのような無責任で軽いやり取りと、愕然として諦めるしかない所得格差と、どうしたら抜け出せるのかも分からない長く荒れた道程の永遠さに疲れる心境を、どう解決すればいいのだろうか。

私は思う。

間違いなく無理心中は増大する。「普通の水準」という概念が人々を縛り付ける。この先の社会に希望を見失った人々が辿る道筋は殆ど固定化されている。社会は40年前のようなエネルギーを持っていない。生活水準を低下させた事からの絶望感は、悲惨な現象を生み出す卵になりつつある。しかしここまで消費行動が高次元化すると、人の気持ちの揺らぎは止められないなと思ってしまう。

何だか、気持ちがザワザワとする。