年頭のご挨拶に代えて。

2017年1月2日手記

2016年が過ぎ、新年を迎えた1月1日。昨年の7月に父を亡くした私は喪中という事になっています。喪中に年始の挨拶を控えるのはなぜだろうと思っていましたが、この新年になりその理由がよくわかります。「明けましておめでとう」と言葉を交わす人を失った喪失感を、この年始に改めて確認してしまうものです。毎年「おめでとう」と言葉を交わして来た人の存在の大きさに気付く元日。年賀状も年始の挨拶も、その失った悲しみを思い出させるのだなと気付きます。

私は両親がいる豊橋の地を離れて随分と時間が経ちましたが、正月には電話をして「おめでとう」を交わして来ました。年末に母に電話をしましたが、今年はまだ連絡をしていません。父を失くした喪失感を一番感じているのは母だろうと思います。毎年あった風景が失われた悲しみをいたずらに強く思い出させないための習わしは素敵なものだなと噛み締めています。慮る(おもんばかる)精神が慣習として定着している日本の文化も素敵だなと思います。

昨年を振り返る時間を今やっと手にできました。いまは嫁さんの実家にてこの文章を書いています。時刻は2017年1月1日23:25です。私以外の人は皆、部屋で寝ているかテレビを見るかなどして過ごしています。私はひとり、テレビもラジオも消してダイニングテーブルにてコーヒーを飲みながらタイピングしています。部屋にはストーブがあり、やかんがかけられていて湯気が静かに立ち上がっています。時折聞こえる灯油の落ちる音とストーブの燃焼の音だけがあります。静かな夜です。

昨夜は日付が変わる前に布団へ入りました。新年の挨拶を控える気分に同調した気持ちが、私を早めに布団へと誘いました。疲れていたこともあるでしょう。この数ヶ月の間、こんなに何もしない時間はありませんでした。9月12日に紙屋川のテナントを見てからというもの、脇目も振らずにまい進してきました。円町から紙屋川へのスイッチも何とか形には漕ぎ着けられたかなと思います。12月は非常にハードでエキサイティングでした。人生史上、一番働いた月だと思います。部活や勉強も強く打ち込むことができなかった思春期の自分からは想像もできないほど、粘り強くなったなと思います。

改めて、紙屋川の店舗を構えられた偶然というか、奇跡というか、自分の力以外の作用を思うものです。親しい友人には話しましたが、あの紙屋川のテナントは不思議な雰囲気を持っていました。過去形で書き表すのは、もうそれを理解できたからです。私はスピリチャルな世界とは無縁ですが、少し書き残しておこうと思います。先ず、12月7日のレセプションでは私が初めて酔い潰れました。信じられないほど酔っ払いました。嬉しい酔っ払いでしたが、ここがスタートです。二日酔いに悩まされつつ片付けをした事を覚えています。レセプションでの醜態を残そうと、トイレにはスタッフのすしぼんによるメッセージを額に入れて飾っています。

12月14日の開店当日には立ち飲み用のテーブルがひとつ、お客さまの酔い過ぎもあり破損して喪失しました。その数日後、私は洗い物中にナイフで指を切り4針縫う怪我をします。その数日後にはトイレの水詰まりが生じ一時的にトイレが使用不可に。さらに数日後には、円町のオリーブの鉢が割られる事件が起きました。私は開店してから紙屋川に感じている違和感の理由をあれこれと考えてきました。立て続けに起きる現象には意味があると思うからです。私は紙屋川のテナントが「解放されたい」と思っているのだと結論づけました。

紙屋川はシャッターの外に外枠を造作してもらいました。シャッターを閉めてしまうと通りが暗くなると思ったからです。しかしシャッターの開閉には大きな音が生じることに気付きます。深夜に閉める音と朝から開ける音。シャッターは4枚もあります。上階は小さな子どものある住居です。私は結局、シャッターの開閉をしていません。閉ざされると強い閉塞感も生まれます。全面ガラス張りにしたのは中の様子がよく分かるようにするためでした。今の季節は叶いませんが、扉の全てを開放すると店内には紙屋川の流れる音が入り込んできます。この音が何とも心地いいのです。始めに感じた違和感はこの「音」の無さでした。

円町は良くも悪くも、丸太町を往来するクルマなどの音が否応に入ってきます。お客さまとの距離感も近い。共有できる物の多さで安心感の生まれる装置が満載でした。その空気感は円町の価値を高めて12年半という時間を刻む事に一役買っていました。扉が閉まっている紙屋川は気密性が高まり、外部からの音が入り込んできません。私が黙々と作業をしてしまうと気まずい様な空気が漂いました。洗い場がお客さまとの距離を遠ざけるきっかけにもなりました。円町の空気感が繋がらない。この違和感をどうしたらいいのか。音のない違和感も、どうしようか。

レセプションから巻き起こる色々な出来事とこの違和感が私のどこかで符合しました。紙屋川の店舗に立ちながら色々と考えました。問題の大きな事として、私がひとりで作業していることが挙げられます。洗い場を担当してくれるスタッフは必須です。忙しく作業する私にお客さまが気を遣われて店内は静かになりました。これが一番よくありません。いまイルピアットは夜の洗い場さんを募集中です。興味のある方は是非。私がお客さまの接客を担当できれば空気感はガラリと変わります。接客ができれば音の違和感も解消できます。

この事に気付いた私は、洗い物をなるべくせずに調理作業と接客に時間を割く様になりました。その結果、12月の最終週はとてもいい雰囲気の店内になりました。私の調理リズムも好調でした。すると、「テナントが私を受け容れ始めてくれたな」と感じました。円町もそうでしたが、私はイルピアットの一店員です。円町のテナントに認められた事で円町に立てていたのだと思います。紙屋川もそれは同じで、先ずはテナントに受け容れてもらわなくては始まりません。ですが、テナントが何を求めているのか感じて理解できないと商売にも仕事にもなりません。これは飽くまでも、私個人の印象でしかありませんが。

霊的な何かとかスピリチャルな何かと言う訳ではなくて、きっとそれは、あの場所で何がしたいのかという自分の(意思の)確認儀式の様なものです。壊れたテーブルはきっと、数が多過ぎたという暗示です。指を切ったのは不注意を促すためです。トイレが詰まったのは、手抜かりの箇所があるかもしれないという示唆です(結局、問題は店内ではなく外でしたが)。円町の鉢が割られたのは、円町を忘れてはいけないというアピールです。円町はそれ以降、ずっと電灯を点けています。

紙屋川で私がしたい事は「還元」です。これまでの経験値をどうしたら広く皆さんに還元できるのかに尽きます。なるべく開かれた場所にしたい。そして、様々なイベントも開催したい。あの場所をなるべく多くの人に利用してもらい、先ずはあのテナントを慰める必要があります。きっと春になり扉が開放されると、テナントの底力はムクムクと発揮されるはずだと思っています。閉じていた時間を取り戻し、テナントとしての存在意義を復活させられれば天然の循環が生まれるはずです。そうしてテナントを「解放」できればいいなと思います。

それを支えるためにも、私は毎月のメニュー更新を頑張りたいと思います。そして、更なる調理技法の習得と磨きを重ねなければなりません。イルピアットの一店員としての役割をきちんと勤めて行きます。洗い場さんが登場すればなお、よりよくなる事は間違いなしです。紙屋川は私ひとりでしてはいけないお店です。2017年の目標は「人と働く」です。これまでの「ひとり」からの卒業を目指します。誰か私と働きませんか?

2016年の1月には2店舗目の紙屋川なんて想像も付きませんでした。冬を終え、春が来て、ケータリングでのボリュームが変化してウエディングでのご依頼を多く頂いた一年でした。本当に充実したケータリングばかりでした。ご利用頂いた皆さまには心より感謝しています。夏になり父が亡くなって、家族の変化もありました。家族はこうして変わって行くのだなと実感しました。晩夏に紙屋川と出会い、駆け抜けた一年でした。そして年末に、改めて父が亡くなった事を思いました。年始の挨拶を控える慣習を思う元日。2016年が自分にとって大きな変化の年であったと振り返る年始です。

さて、今年はどんな出来事が待ち受けているやら、です。未来はこの手で作るものです。決まっていない未来を案じて今を静かに過ごすよりは、堂々と未来を作りに出掛けて大きな顔をする方がきっと楽しいです。私も2月に43歳になります。そろそろ転ぶと傷は治りませんが、ここから先に付く傷は全て笑い話にできるのだと思い上がって過ごせたらと思います。やっと厄年というボーナスステージ全行程終了です。とても充実したボーナスステージだったと2月に言いたいです。未来を怖がらず作りに挑んだ人だけが、きっと、色々な出来事も受け容れていける人なのだと思います。なるべく私もそこを目指したいと思います。よかったら便乗してください。定員は無制限です。

年頭のご挨拶に代えて、今年始めのお知らせとさせてください。今年もよろしくお付き合いください。できるだけ多くの人に再会できる一年でありますように。

健やかにお過ごしください。

紙屋川でお待ちしています。

いつもありがとうございます。

ミズタニヨシオ