3.2月の過ごし方

2011年2月20日手記

外出許可が出まして、一時帰宅いたしました。なんとも、外出許可と言うものは可能性を感じさせます。 何かできる可能性を膨らませてくれる開放感があります。今日の夜には再び病室のベッドですから、特にこの自由時間を大切にしたいと思います。

いつもは当たり前に浪費していた時間と空間、そして移動や街、人との繋がりなどを改めて噛み締めています。 健康である事、そして何も制約されず社会で行動と活動ができること。これは自明なようでそうではありません。 少しばかり入院しているだけですが、社会性を享受できることが人間社会においては「自由」なのだと思います。

社会性には色々分野と切り口がありますが、ここで言う社会性とは私がこれまで過ごしてきた本当に小さな、小さな社会の繋がりと環境を指しています。 大きなことを言うつもりはなく、やはり、個々人において辿ってきた道筋と経験値、いくつかの繋がりと仕事や人間関係に尽きると思います。 私自身の過ごしてきた環境は「手術・入院」によってその形態が一時的にせよ変貌しました。 この変貌はまことに重要で、自分自身に新たな問題と課題、そして未来を提案し突きつけるものです。

言い回しが面倒になりましたが、とにかく、こうした経験は何かをリセットする際には都合も効率もよく、 今の私が欲する要素の全てを内包していると言っていいでしょう。私は先日、開催した「イルピアットパーティー」も何かの一区切りと捉えています。 何に対する一区切りかはこれから明らかになるのでしょうが、もう次の展開を思索し始めています。 言えることは、「今後のパーティーは、別の形態になるはずだ」ということです。 パーティーをやり終えた充実感と言うよりは、「もっと別の表現をしたい」という事だと思います。

イルピアットという奇跡的なお店はベースではありますが、私がお店を離れても活動できる表現方法とは何か。 それはもちろん、調理を含めた何かであるとは限りません。何でも構わないのです。 私は色々な可能性を否定しませんが、お店を展開しながらも自分とは常に格闘していたいと思います。 そして、今まで築き上げてきた表現を否定して行きたいと思います。 これまでと同じでは私に価値が無いだけでなく、イルピアットという奇跡さえも陳腐なものになってしまいます。

これまでの自分を否定するところから始めたい。

次の時代を作りたいのです。今の時代はもういい。「いま」というこの瞬間からこの「いま」というものは陳腐な過去のものになります。 そこにすがっていたいとは思いません。そのためにはドロドロした思索と、まとまらない葛藤と、答えの出ない計画に振り回され、もがき苦しまなくてはなりません。 思い通りにならない事があるからこそ、思い通りとは何かに気づけます。制限されるからこそ、解放とは何かに触れられます。 抑圧と権威による脅威に晒されるからこそ、自由と権利に深くなります。

私自身が何かを成せると言うのではなくて、私自身と向き合って常に生み出す者でありたい。 生み出されるものは、社会のために設定された何かではありません。 生み出されるものは、常時、自分に対して疑いの眼差しを持っているのです。 「これはおかしい」という眼差しによってのみ、自分は次のステージを自分で用意できるのだと確信しています。 何かに、誰かに、認められるためではなくて自身の表現のために。そしてそれは結果として、時代を作り社会を牽引してゆくと勝手に思い上がっています。

「表現する」という行為は、社会の関係性において最も尊いと思います。 自分の中に沈殿しているどうにもならない汚物で異臭を放つようなつまらない概念を、掘り起こさなくてはなりません。 水は濁り、ひどいことになります。まとまらなくなり、取り返しも付かなくなるかもしれません。 それでも、その作業は不可欠です。その結果、その堆積物によって隠されていた自分の本質が少しでも理解できれば、あとはそれを発信するだけです。 本質的な自分が求めるものの発信。それが「表現する」ということです。

今日は外出許可ということもあり、再び病院に戻らねばなりません。この「戻らねばならない」ということが、私を高揚させています。病室に戻り、再びあれこれと思索します。明日は病室で過ごし、あさっての午前中には退院します。それまでの貴重な時間を、無駄に過ごしながらも自分のエネルギーと知恵にできればと思います。きちんとしようなんて思いません。むしろ、自分のダメさ加減に辟易としたいのです。

2月とは、こういう過ごし方が一番いい。

イルピアット ミズタニ