「飲食店」と一括りにしないで頂きたい。

2020年8月3日ミズタニ行進曲

今日は8月3日月曜日です。家族で夕日ヶ浦温泉へ来ています。妻のお母さんも一緒です。私の母は職場より「他府県へ行かないように」と」釘を刺されてしまい、一緒に旅行することを諦めました。牡蠣が好きな母のために焼きガキと舟盛りを注文しましたが、残念です。来る途中の丹波篠山のサービスエリアでestreの井上くん夫婦と偶然、会いました。私は出る直前に府職員とコロナウィルス感染症について電話でやり取りしていてうっかりと財布を忘れてきてしまいうなだれた様子を彼らに見られました。

すっかりとコロナ時代になりました。2020年2月中旬に立命館大学の卒業式が中止になった一報を耳にして「新型コロナウィルス」を身近な問題に捉え始めたことを覚えています。まだこの頃は街をゆく人々が今ほどマスクをしていませんでした。利用するお店もスーパーも、バスも電車も、今のような空気ではありませんでした。それから6ヶ月が過ぎようとしています。われわれ人類の文明社会は「コロナ時代」の適応を理解し始めました。現状を受け入れ、その上で対応し適応する強さを見せています。

コロナ時代元年。それが2020年。今年は暖冬から長引いた寒さが季節感を失わせただけでなく、年中行事もことごとく中止になったことで心情的にも季節の変化をコロナによって奪われてしまいました。数年振りに美しかった桜の花見も、受験も、卒業式も、入学式も、入社式も、葬式も、出産も、人との交わりを遠ざけました。人との交わりをライブで失い、気持ちの共感はインターネットシステムに委ねられました。オンライン飲み会やオンライン会議、テレワークなども拡がりました。

3月初旬からは小中高学校が休校になりました。4月中旬には緊急事態宣言もありました。不要不急の外出制限に加え、飲食業界にも休業要請が出されました。この緊急事態宣言により経済はひどく落ち込み、多くの人は自宅で過ごす日常を経験しました。イルピアット紙屋川も4月は1週間の休業を挟みテイクアウトのみの展開を始めました。5月初旬から少しずつ店内でも食べられるようになり、6月中旬にはカウンター席も再開しました。食器棚新設や間仕切りの作成、網戸の設置などを経て7月中旬からは通常通りに営業ができています。最終週には念願のデッキも完成し、昨日はDJ TAIZOを招いてのフリーパーティーもできました。

国による支援が思いの外に手厚く、様々な支援対策が打ち出されました。支援の始まりこそ遅かったものの、今では支援策が多過ぎて全てを理解することは難しいほどです。乱立する支援策を一つにすると雑になるからか、必要な人にだけ届くことを意識した支援策たちは、あまりの手続き過多で申請することに疲れ果ててしまいました。私は身の丈に合った支援策のみを活用しています。これらの支援策は本当にありがたく、助かっています。

さて、コロナ時代です。私はそこかしこで目にする「コロナウィルスの影響」という言葉がもう一昔前の言葉のようにさえ映ります。コロナが自明になった現在の様式を面倒にも思わなくなりつつあります。日常になってしまえば日常です。恐らく、海外で暮らし始めた際の「文化の違い」に似ているように思います。「コロナ文化」と名付けられそうな様式は、そのまま「時代」を作り上げつつあります。コロナの影響は日常化したことで、「影響」という言葉を遠ざけてゆくのだと思います。

8月1日の京都新聞朝刊一面に京都府独自の「5ルール」を設けるという記事が載りました。「半数が飲食店による」という見出し付きです。私はこの前日に府のコロナウィルス感染症支援の窓口に電話を入れています。「接待を伴う飲食店」と「飲食店」が報道では混同されているのできちんと分けて欲しいと訴えました。今朝、出発前の電話はその回答でした。回答では「行政からの言論統制のようなことはできない」とされましたが、私は言論統制要望はしていないことをきちんと伝えました。

この府への問い合わせの以前に、私は京都市保健所の衛生管理部門にも連絡をしています。「報道表現にある「接待を伴う」という定義づけについてきちんと指定をしているのですか」と伺いました。保健所回答では「報道には「接待を伴う」と話しているが記事になると「飲食店」のくくりになる」と聞きました。なるほど。行政は報道にきちんと分けて伝えていると解釈しました。ですから、府への問い合わせの際にも「府は報道に伝えていると思いますが」と枕詞を付けました。

今日の連絡の中でも明らかになりましたが「接待を伴う飲食店」と「飲食店」とではそもそも定義する法律が異なるのです。「接待を伴う」のは風営法に指定されています。飲食店はそうした指定を受けていません。そこからしても違うことを職員も話してくれました。そうであるならば、京都新聞一面にある「半数が飲食店起因」という見出しはどういうことなのか。記事内容は「接待を伴う飲食店33% 会食による11%」とあり、半数起因が一括りにされています。「接待を伴う」ことと「食事」とが括られた報道です。全く承服できません。これらを一括りにして「飲食店」とすること自体がおかしいと伝えました。

 私は西脇知事が打ち出した「5ルール」が「飲食店」を対象に発表されているのか「接待を伴う飲食店」を対象にしているのか確認くださいと伝えました。それは府職員も分からないのです。私たちは報道から読み解けば「全ての飲食店が対象」と考えてしまうでしょう。そんな大まかな決まり事など、どう考えてもおかしいのです。これは「車両」と括る際に「乗用車とトラクター」を同じように括るに等しい。立ち上がる現象が違うのです。そしてこの事を指摘する前にもきちんと保健所にも府にも伝えている重要な事柄があります。それは、「どういう状況でクラスター感染が生じたのか」という内容です。

 京都新聞記事に(いま手元に資料はありませんが)保健所へ私が問い合わせをした翌日に6月下旬と7月上旬に京都市内で生じたクラスター感染の記事が掲載されました。そこには「お酒を飲み回した」などの行為が書かれていて、とても通常の飲食店では見られない行為が説明されていました。私の知人・友人らの飲食店ではそうしたリスクある行為は到底、見られないでしょう。ここでは「接待を伴う飲食店」と指摘されていました。クラスター感染の元になった人たちが二次会、三次会と渡り歩き感染が拡大した記述もありました。

 このことからしても、通常、日常的な食事でクラスター感染する可能性は低いものと判断されます。食事の方法と様式を大きく逸脱して騒げば楽しいでしょうけれど、抱きついたり飲み回したりすればどんな場合でもクラスター感染を起こす可能性はあります。この事をもっと周知させるべきですが、5ルールにはこの内容は全く盛り込まれていません。西脇知事も「2時間でお開きにする科学的根拠はないが、長く食事をすれば感染予防を忘れがちになる」と指摘しているに過ぎません。こんな「うっかりあるある」のようなことではなく「回し飲みをしない」とはっきりと盛り込むべきでした。

 他にも、「無闇にくっつかない」「他者のグラス、カトラリーを使用しない」などを明記すべきでした。なぜならば、クラスター感染が発生した行為の注意喚起になり、具体的な感染予防に繋がります。そしてこれらの内容は一般的な「飲食店」では見られない行為です。どこの蕎麦屋でそんなことがありますか。洋食屋でもハンバーガー屋でも和食屋でも、イタリアン、フレンチ、タイ料理、カレー屋、食堂、ラーメン屋、どこでもそんなことはないのです。このことからも、「5ルール」は飲食店にとって設定される覚えのないルールです。

「設定しても、しなくても意味がないなら気にしなくていいじゃないか」という声もありそうですが、全く問題です。朝刊見出しに「飲食店起因」と出されては困るのです。私たちはそういう行為のお店ではありませんが、一括りにされてしまった。利用する人たちの動機付けはマイナスに働くでしょう。西脇知事はこの数ヶ月をかけて施してきた私たちの感染予防対策についての理解と努力をどう考えているのだろうか。何が「5ルール」か。馬鹿馬鹿しい。前日には「呼びかけ」と言っていたことが翌日の紙面では「ルール」になっていたことにも腹立たしさを覚えます。

「5ルール」を設けるのは自由ですが、その対象をどこに設定しているのかの詳細説明をいただきたいです。その上で、私のような飲食店が対象になるならばその整合性と理性的な説明と経緯についての説明を強く求めます。風営法上の解釈の違いも、感染につながった行為の説明も、しっかりと広くわかりやすく啓発して頂いた上で初めて「ルール」の設定をすべきだと考えます。飲食店は日々の食事を通してご利用くださる皆さんの日常を保つ役割があるはずです。感染予防対策を講じても、報道で「飲食店」と一括りにされてしまう事を憂慮しています。

ちなみに、京都府の5ルールを明記しておきます。

・大人数(10人程度)は避ける
・2時間以内でお開き
・深夜は控える
・(業種ごと)ガイドライン遵守店を利用
・府の接触確認アプリ「こことろ」を利用

繰り返しますが、この要項を守らなかったからクラスター感染が生じたのではありません。京都府にはルールの適応対象の詳細と根拠について説明を求めます。